杉田卓也さんの連載映画批評『No.002 禁忌の侵犯、そして「隠蔽」のサスペンス-『私の男』』をアップしましたぁ。熊切和嘉監督、浅野忠信、二階堂ふみさん主演の映画です。原作は直木賞受賞の桜庭一樹さんの同名小説であります。原作がある場合、小説と映像作品との違いが気になるわけですが、杉田さんは『映画と原作は本質的に異なる作品に仕上がっている。・・・原作は、ある種のミステリーとして成立しているが、映画ではこうした表現形式を選択していない。・・・重要なのは、本作が原作のようなミステリーではなく、サスペンスとして成立しているところにある』と書いておられます。
ではミステリーとサスペンスの違いはなにか。杉田さんは『サスペンス映画は、様々な状況設定や、空間演出により観客に対して恐怖や緊張を喚起させるものと考えて良いが、重要なのはミステリーとは違い、そこに必ずしも謎の解決や推理を楽しませる魅力などが必要ではないということだ。・・・本作は時系列を順番通りにすることにより、禁忌の侵犯という主題に伴う先の見えない不安を漂わせている。それにより本作は、事の顛末が始めから読者に提示されている原作の安定感とは異なる浮遊感が生じている』と評しておられます。
桜庭一樹さんの原作は近親相姦がテーマです。近親相姦は人類にとって最古かつ最大の禁忌の一つであるわけですが、このテーマの処理は難しい。現実に取材すると単に利己的で愚かしい欲望しか見えてこないところがある。禁忌の本質を突き詰めると、当事者個々の心理はともかく生物学的な異常が生じやすいということ以外に明確な理由を見つけにくい。古来、ギリシャ悲劇の『オイディプース』が有名ですが、あの作品では近親相姦を犯した主人公は殺されない。自分自身で両目をくり抜き王の座から降りて放浪するわけです。明確な罰が与えられず、生き恥をさらしながら追放されるところに、この禁忌の根深さと処理の難しさが表れていると思ひまふ。
この難しさは映像化するとまた一段ハードルが上がるわけですが、それを熊切和嘉監督監督は〝「隠蔽」の主題〟として捉えていると杉田さんは論じておられます。『一方は「異性」としての男を求め、他方は情欲という矛盾を孕みつつも「家族」を求めるという歪な関係性を表面上の養子縁組という要素が「隠蔽」する。このように浮かび上がる「隠蔽」という主題は、それが禁忌の侵犯という問題と、それを巡ることの危険性を常に潜ませるサスペンス映画としての枠組みを強固にし、重層化することによって映画全体の脈拍にも影響を及ぼしている』と書いておられます。考え抜かれた落としどころでしょうね。現在公開中の話題作であります。
■ 杉田卓也 連載映画批評 『No.002 禁忌の侵犯、そして「隠蔽」のサスペンス-『私の男』』 ■