ミステリー特集で、読み切り短編6作品が収録された別冊が付いている。それらを眺め、つらつら思うに、最近のミステリー作家には女性が増えているな、ということだ。
よいことであるが(ってのは、何によらず女性が増えるというのは、よいことだと言わねばはらないのである)、しかし女性が書くものの方が圧倒的に面白い、というところまではいってない。圧倒的に面白くなくたって、男の書くものと同じ程度に面白ければいいようなものだが、この低迷する文学業界全体に、女性の方がどうにか元気を保っている様子なのだから、ここへきて女性作家が台頭しているジャンルでは思い切って差を見せつけてほしいものだ。
もちろん以前から、女性ミステリー作家はいたのだが、女性ならではのミステリーだったか、というと、そうではなかった。端々に女性ならではの、とか、文庫版解説には書いてありそうではあるが、あくまで端々の話でしかない。多くのミステリーはミステリーの作法に則って、その作者がたまたま女性である、という以上のものではなかった。
ミステリーの作法は「本格」と呼ばれるものに顕著である。そして謎解きに男も女もないのであり、とすればそもそも作者の性別も名前も、アイデンティティすらどうでもいいっちゃ、いい。覆面作家だって、いやその方がミステリアスでいいかもしれない。
現在だからか、日本だからか、しかしこの本格というジャンル、あまり発展性があるとは思えない。トリックが出尽くしたというのもあるし、このデジタルの時代にはそういうゲームが数多くあって、わざわざ本というアナログなものを選ぶなら、人情とか心理とか抒情とか、そういうものが含まれなくては意味がない気がするのだ。
かくて男性ミステリー作家の書くものにも、人情とか滑稽味とか、あるいは何でもそれぞれに要素が付け加わってきている。そういうあんばいで「商品」を仕立てるにはしかし、女性作家は真面目で正直すぎるような気がする。もっと自分の来し方、育んできた感性に従って書くのでなくては意味がない、という思い詰めた感じがある。そしてでもやっぱり、本当に面白いものは、そういうところからしか出来てこないんじゃないか。
別冊に収録の短編のうち、福田和代の「希望の空」は、日常的な社会と女性たちとの関わりをプレーンな表現で描きつつ、ミステリーに仕上げている。ミステリーであっても謎めいた、いわゆるミステリアスな、ましてやおどろおどろしい雰囲気はない。しかしミステリーが成立する。これは本来の意味で、女性ならではかもしれない。
ミステリーを成立させているものは、構造である。本格ならば論理構造、そうでなければ社会構造である。女性にとって、社会は日常的に、それ自体が不可知である。男という存在も。その地点から書かれるミステリーなら、作法を経ずにしていきなり謎が、それも素のままに現れるという点で、確かに新しい。
池田浩
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■