「能楽図絵」「恋重荷」(明治32年7月10日印刷 仝年仝月15日発行)
【公演情報】
能〈恋重荷〉(こいのおもに)
鑑賞日 1月25日 於 横浜能楽堂
出演
シテ(山科荘司・荘司の亡霊) 観世銕之丞
ツレ(女御) 西村 高夫
ワキ(臣下) 工藤 和哉
アイ(従者) 野村太一郎
大鼓 柿原 弘和
小鼓 大倉 源次郎
太鼓 観世 元伯
笛 松田 弘之
後見 清水 寛二
浅見 真州
地謡 安藤 貴康 馬野 正基
谷本 健吾 柴田 稔
長山 桂三 浅井 文義
浅見 慈一 岡田 麗史
協力 竹本 幹夫
2月に入る直前に横浜能楽堂で能〈恋重荷〉の面白い上演を観る機会があった。静かな土曜日で、その後降ってきた大雪の気配はまだなかった。番組の前半として狂言〈富士松〉(シテ:野村萬、アド:野村万蔵)が会場の雰囲気を和ませた。
能〈恋重荷〉は現在観世流でしか演じられていない演目である。世阿弥作で、他の能とは違って、典拠となる物語はないが、作者は上手に修辞技法を使って演目の設定を古典の世界と結びつけた。この能の中心となるのは叶わない恋の物語。白河院の女御の愛する菊の下葉を取る仕事をしている老人が、ある日女御の姿を見てしまい、恋に落ちる。この事柄が臣下や女御自身の耳に入り、老人に恋の思いを諦めさせるため、岩を綺麗な布で包み、その荷を「恋の重荷」と名づける。それを持ったまま庭を何回も往復したら、再び女御の姿を見させようと約束して、老人に持ち上げさせる。恋焦がれる老人は期待を抱き、二回も重荷を持ち上げようとするが、挫折する。悔し涙を流しながら、その場を去って、自殺してしまう。老人の死の原因となった重荷のところへ女御が呼ばれ、後悔しながら、老人を可愛そうに思う。しかし、お祈りの後立ち上がろうとすると、動けない。まるで大きな岩が体を抑えているかのようだと、女御が痛みでもがく。その時、悪鬼となってしまった老人の亡霊が現れ、女御を責める。自分が今地獄で苦しめられているように、女御を苦しめようとするのだが、女御の涙に感動して、恨みを捨てる。供養をしてくれるなら、守護神としていつまでも女御を守ると約束し、消え去る。
世阿弥は、恋の苦しみを重荷になぞらえて、〈綾の太鼓〉という古い能を改作して〈恋重荷〉を作った。実は似たような設定を持つ〈綾鼓〉(あやのつづみ)という作品もあって、現在でもよく上演される。〈恋重荷〉との相違点としては、重荷を持ち上げる設定の代りに、綾で包まれた鼓を鳴らすことが老人に与えられた課題になる。それに、老人の亡霊は結局女御への恨みを捨てず、そのまま地獄に堕ちるのだ。
救いのない終わり方に世阿弥は納得できず、より縁起のいいような設定にしたかったのだろうと想像できる。叶わない恋だとしても、愛する女性を守る決心は世阿弥が思う男心であろう。ここで私たちは、現在よくあるストーカー事件を思い浮かべてしまうかもしれないが、この能の場合は世阿弥が選んだ結末をできるだけ広い心で見る方が良い。やはり老人の亡霊を成仏させたかったであろうし、恨みの原因となった恋を「愛」のような優しい気持ちに変えさせたかったであろうから、作者の本意は私たちにも理解できなくはない。
能作品としては〈恋重荷〉は少し特殊な背景を持っている。世阿弥の時から室町時代によく演じられ、とても好まれた演目だったそうだが、一時期上演が断絶してしまい、何十年も後に観世流の能楽師によって復活された。しかし、その歴史を密接に調べた能楽研究者表章氏の指摘(「〈恋重荷〉の歴史的研究」、『能楽史新考』所収)によると、復活した〈恋重荷〉は詞章上でも演出上でも、上演中絶前と大きく違うところがあるそうだ。今観られる演出は復活後の要素を引き継いでいるとされる。その特徴は鬼が女御を責める場面に見える。立ち上がれない女御に対して老人の亡霊は、言葉で恨みを表し、厳しく女御を見据えながら、杖を女御に向ける。鬼は女御に近付いたり、肩をさしたりしないので、この場面の緊張感がよく伝わるものの、老人の恨みはずっと見えない形で表現される。後悔する女御の涙を見て、鬼はすぐに恨みを捨て、守り神となって、姿を消す。
一方、江戸時代以前の〈恋重荷〉は老人の恨みをもっと視覚的に表現していたそうだ。後半に出る鬼姿の亡霊は、動けなくなった女御に近付き、生前持ち上げられなかった重荷を軽々に持ち上げ、女御の肩の上に置くのだ。その重荷の下で女御の美しい姿が潰れそうに見えるところは間違いなく観客を驚かせたであろう。しばらくして、鬼は重荷を下ろすのだが、その場を逃げようとする女御の肩を掴んで、また座らせて、今度は杖で何回も女御の肩を刺す。無残に苦しめられる女御はさめざめと涙を流すので、それを見た鬼はやっと落ち着いて、恨みが完全に晴れるのだ。そこで守り神になると言い残してから、消える。
現存する観世流最古の演出資料(慶長3年写の妙佐本)に基づいて、1993年に上演中絶以前の〈恋重荷〉の演出を再現する試みがあった。シテは梅若六郎氏がつとめた。国立能楽堂で映像記録が残っているおかげで、確かに迫力のある、いかにもドラマティックな上演だったと自分の目で確認できた。作り物の重荷が二個あって、一本の竹の棒の両端につけてあるので、鬼が女御の両肩に荷を押し付ける場面はとても印象的だ。女御が責められる場面は、現在通常の控え目な演出と比べにならないぐらい暴力的な振る舞いに満ちている。しかし、この上演を観てみると、ある不可解さを感じざるをえない。女御をあんなに苦しめた挙句、急に守り神になってあげても、観客としては何となく喜べないままでいてしまう。まさに悪意のストーカー事件を連想させる展開なのだ。
世阿弥時代の〈恋重荷〉はおそらく、視覚的な面白さをある程度欠如させている現在の演出と、矛盾に溢れた江戸時代以前の演出との中間的なものだったのではないかと思われる。今回の横浜能楽堂で行われた上演の際は、能楽研究の専門家である早稲田大学教授竹本幹夫氏の力を借りて、世阿弥が意図した〈恋重荷〉にできるだけ近い演出が試みられた。
色々な演目の演じ方に言及する『申楽談儀』の第二条に、〈恋重荷〉について世阿弥は次のコメントを残した。「恋の重荷の能に、『思いの煙の立わかれ』は、静かに、渡り拍子のかかり成べし。此能は、色ある桜に柳の乱れたるやうにすべし。」引用は鬼が女御を責める気持ちが晴れる最後の場面からである。また、渡り拍子は太鼓の音が所作のリズムを決めることを指す。演目の主人公が鬼神である場合、結末の舞いや所作のところで太鼓が入るのが一般的だ。しかし、ここは「静かに」演じるべきだという強調があって、主人公の気持ちの一転を表現するに当たり、この場面に特別に注意しなければならないのだ。その上、桜と柳の組み合わせは美しさと強さが交錯する様子の比喩だそうだが、よく考えれば、桜花の美しさを、いつも泣いているような乱れた柳の枝を通して見てみると、意外な緊張感が生じることに気付く。桜の美しさが見たいのに、柳の枝が妨げとなって、まるでその欠陥のない美しさを脅かすかのように見える。危うい状況に置かれているからこそ、花の美しさが増すのではないか。つまり、非情に繊細な美意識がこの曲に込められている。世阿弥のこのような思いを充分考慮しながら、今回の上演が企画された。
どのような舞台になったかというと、まずはこの演目に欠かせない重荷の作り物は、通常の一個の荷が使われたが、古い資料の指示に従って、肩に担ぐための竹の棒が添えられた。次に、鬼が重荷を女御の肩に置く場面は除かれた。そもそも、世阿弥の頃はこのような場面がなかったはずである。あまりに無残で、風情のない所作で、優雅な北山文化を代表する貴族や高級の武士達の好みに逆らうおもむきであろう。これはおそらく、能演目のドラマティックで刺激的な展開が好まれるようになった室町後期に現れた演出に違いない。
それにしても、詞章の内容を忠実に読み解いてみると、老人の亡霊は確かに何らかの形で女御に自分の感じた苦しみを感じさせる場面があるのだ。そこで中世の地獄絵が参考になり、地獄の鬼が、罪を重ねた魂をどういう風に苦しめるのかというところを真似るようにすれば、この場面が元々意味しているものに近づけるのではないかと考えられた。具体的にどのような演出になったかというと、鬼が重荷に添えられた竹の棒を使って、動けないままの女御の体を軽く刺す。こんな風に最低限の形で女御に対する鬼の暴力行為が表現された。結果として、老人の恨みからその後の心の一転への展開がより円滑に進むことになった。
〈恋重荷〉の元来の面白さを復興することを目的とし、世阿弥時代の演出を試みるに当って、資料の乏しさが作業を困難にさせたのはいうまでもない。今回の上演に協力した竹本幹夫氏はいわゆるドラマトゥルクの仕事をつとめ、作品の歴史や上演記録を研究した上で、色々な提案で演出を支えた。現代演劇の方ではドラマトゥルクの役割がますます大事になっていることは現在の状況だが、伝統芸能の方では未だにまれな例である。今回の上演が示したように、役者と研究者とのコラボレーションによってこれからの能の演出の可能性が広げられるのだ。今後は伝統芸能においてもドラマトゥルクの役割がより大きくなるのではないかと思われる。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■