池田浩さんの文芸誌時評 『No.007 小説 野性時代 第114号 (2013 年 05 月号) 』 をアップしましたぁ。特集は 『日常は謎に満ちている』 です。池田さんは 『謎とは要するに、芯がつかめないことである。つかめない以上は、外側を撫でたりなぞったりしているしかない』 となかなか手厳しい (笑)。『野性時代』 さんは表紙に知的な芸能人の写真を使ったり、グラビアを充実させたりしておられますが、それがなにを目指しているのか、なんの効果を生んでいるのか、今一つわからないのも確かであります。
1980 年代まで 『ぴあ』 という雑誌が若者たちの情報ツールでした。しかし情報を 〝売る〟 雑誌であったにも関わらず、『ぴあ』 はインターネット時代に乗り遅れました。毎月 (毎週) 定期的な収入をもたらしてくれる紙媒体に見切りをつけることができず、ネット媒体への投資が遅れたわけです。現在、紙媒体の雑誌は、多かれ少なかれぴあ的ジレンマに陥っていると言えます。ファッション誌は読者モデルのスター発掘システムを確立することで若い読者の注目を集め、付録によって活路を見出そうとしています。でも文芸誌は旧態依然としています。
作家と作品を紙媒体に閉じ込めようとすればするほど、文学界は衰退していくと思います。現在では文学に興味を持つ多くの読者ですら、『文○界』 や 『現○詩○帖』、『○川俳句』 で何が行われているのか全くと言っていいほど知らない。また雑誌に作品が掲載されることが作家のステータスなのではなく、昔有名だった雑誌に掲載されているのでなんとか読める作品が多くなっています。プロを感じさせない作品がほとんどで、有名雑誌の冠を取り除けば商業誌と同人誌にさほどの違いはない。この閉塞状況を変えるには、① 積極的な情報の公開、② 読者の増加と支持が不可欠です。作家が作品を生み出すというシステムは変えようがありません。変わった (変わりつつある) のはその普及・流通システムです。
ただ文学系のネットメディアは未成熟です。現在、多くの文学系ネットメディアは作品発表システムとして機能しています。しかし独自の発信力が不足している。それでは既存メディアから声がかかるのを待っている文壇・詩壇補完システムで終わりかねません。紙だろうとネットだろうと、それは何かを誰かに 〝媒介〟 するためのツールです。ネットメディアが成熟するためには、その特性に合った強力で明確な方針を打ち立て、新しいモデルを作り上げる必要があります。不肖・石川は意外と山師で博打打ちなのでありますぅ。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.007 小説 野性時代 第114号 (2013 年 05 月号) 』 ■