今日は釈照太(しゃくてりた)さんが角川『俳句』2012年3月号の時評をされていて、高野ムツオさんの発言に触れておられます。思わず「僕、この人知ってる!」と嬉しくなってしまひました。
僕はお酒が大好きで、特に週末になるとた~んとお飲みになったりするんですが、翌日はなぜか早起きになってしまうことがあります。そんな朝にテレビをつけると、やってるんですねぇ、NHK俳句。高野さんはそこで選者をされていて、何度かテレビでお顔を拝見したことがあります。
ごろごろしながらNHK俳句見てるんですが、僕の楽しみは、選者の方が、投稿されてきた俳句のどこを直すのか先に予想すること。気楽な言葉遊びゲームであります。選者の方と意見が合うとすんごい嬉しい。「正解っ!石川さんに1ポイント!」って感じであります。
釈さんの時評によると、高野さんは小澤實さんという俳人と、高柳克弘さんの「瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ」という震災俳句を巡って対談されているようです。「瓦礫の石。。。」は無季俳句なので、俳句には季語が必要かどうかっていう対談内容であります。
そんでNHK俳句予想屋の僕としては、この俳句、「瓦礫の石」と「のみ」が添削されちゃうだろうなぁと予想するわけです。石は自然物だから、「瓦礫の石」ってちょっとすわりが悪いですぅ。6音なので、言葉の数合わせしてるわけでもなさそうだし。「のみ」は俳句の余韻みたいなものを、ちょいとだけ限定しちゃってるような気がする。
そっからはもう、ああた、二日酔いの言葉遊びですよ。そんなら「瓦礫抛り瓦礫に当たる次は砕く」、「瓦礫積み黙祷空し瓦礫積む」にしちゃったらど~じゃいと勝手にどんどん作り替えていくわけです。けっこうな暇つぶしになります。皆さんもいかがっ。
金魚さん(齋藤都代表)は、七転八倒くそ面倒くさい文学原理主義者で、以前文学金魚の会議で「俳句について説明しなさい。575で季語があるという形式ではなく原理です」とおっしゃり、田沼代理人を中心に1時間近く議論が続いたことがあります。
議論の内容はあまりにも面倒だったのではしょりますが、終わって金魚さんがおっしゃったのは「70点」の一言でした。でもいちおうは及第点だったやうです(笑)。
俳句の世界はよくわかんないけど、釈さんの時評読んでると、みなさんいろんなこと考えておられるんですね。分厚い雑誌を読まずにレジュメしていただけるのはありがたひ。僕の耳学問がまた増えますですぅ~。