『聖痕』、『偽文士日録』と二ヶ月連続で新刊を出した筒井康隆を特集している。「妄想こそが想像力の源泉」と題するロングインタビューでは確かに、創作活動についての総まとめのようなことが行なわれていた。
筒井康隆が SF 作家としてデビューした、というのは、日本の文学における SF の定義を考えさせられる。その後の展開からでも、筒井康隆に特に近未来的なメカニックや、科学技術とその進歩に対する関心が深かったとは思えない。もちろんそういったものに SF を囲い込む必要はないのだろうが、作家が一人デビューしようというときには、そのジャンルによって「選ばれた」理由があるのではないか。筒井康隆のデビューは、どうして SF だったのだろう。
筒井康隆自身がロングインタビューで語っていることから推して、おそらく日本における純文学の定義が変わってきた、その変化は筒井康隆よりも遅れてやってきた、と気がついた。そこで、どのジャンルにも組み入れようのない作家をとりあえず SF という範疇に入れておこう、というのが日本における SF の実態だった時代が続いていたのではないか。なぜなら今なら、筒井康隆の実験的な、ジャンルの境そのものを問う試みはまさに「純文学」と捉えられるからだ。
とりあえずとはいえ、なぜ SF だったかと言えば、日本では SF 小説は海外ものの翻訳として入ってきたものの、日本における SF 小説というものの「席」が、本質的には空いていたからなのだろう。
日本語で書く日本人に、SF 作家と呼ばれる人たちがいなかったわけではない。筒井康隆もその一人だったのだが、それらの作家集団が作り出していたものは、海外におけるいわゆる SF ジャンルとは異なったものになるのは必然ではないか。
それはジャンルには「ジャンルの掟」というものがあるからで、逆に言えばそれがあるからこそ、ジャンルはジャンルとして独立不可侵のものとなる。その掟そのものを問うたり、揺さぶりをかけたりするものは「前衛」と呼ばれるもので、文学のどのジャンルにおいても共通して「純文学的要素がある」と言われるようだ。
SF というジャンルの本来の掟とは、先に挙げた近未来的なメカニックや科学技術とその進歩が、人間の内面に本質的な影響を与えることを信じている、という前提そのものだろう。「SF とは文明批判だ」という言い方もあったと思うが、そうでなければ批判にもなり得ない。つまり「モダン」が生み出したもので、日本のように明治期以降、その成果物だけを無批判に受け入れてきた文化で、それらが人間の内面と本質的に関わるといった哲学が存在していたはずはない。
日本における SF というジャンルは、それ自体が空虚なパロディであり、言語的にならざるを得ないという意味で、「純文学的」であったろう。それに対して敏感な作家の書くものはしかし、純文学にしては不幸にしてあまりにも面白く、定型的な「純文学」的アトモスフィアふんぷんたる後衛文学とはまったく無縁だったわけだ。それゆえ筒井康隆は筒井康隆というジャンルに属するしかなかった、ということだろうか。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■