特集はない。というか、「吉川英治文学新人賞受賞作家特集――巻を措く能わず」という、よくわからない特集になっている。まあ、作品特集というやつだ。で、なんで吉川英治新人賞をとった作家を並べたかというと、その本賞と新人賞が新たに決定したというグラビアが出ているからである。
小説現代の読者はたいてい小説が好きなんで、作品が並んでいることに異論はないと思う。だけどこういう特集ってのは、やっぱりちょっと立ち止まって考えてしまう。まず考えるのは、作品を読むだけなら単行本になってからでいいんじゃ、という、よく聞く文句だ。連載が多い小説現代みたいな雑誌で、またそれを輪切りにしただけみたいな号となると、よけいにそう感じてしまう。
もう一つは、それでも特集にして短篇を並べているからには、ある賞を取った作家たちというのには、やはり特徴や傾向があるものなのか、ということだ。吉川英治文学新人賞は、新人賞という名ではあるものの、デビューのために応募する雑誌新人賞とは違うから、その傾向と対策といった話ではない。こういう過去の文豪の名を冠した賞の場合、受賞者のイメージがその賞の名とかけ離れている、ということはしばしばある。その作家がそのときだけ、その文豪調の作品を書いたわけではなさそうだ。その文豪となお縁のなさそうな、選考委員が決めただけなんだろうから。
特に純文学の場合など、名の通った作家はかぎられている。まわり持ちみたいに彼らに受賞させてゆくしかないのが実情だろう。それにしても「巻を措く能わず」はないんじゃないか。少なくとも吉川英治さんとか、受賞した頃の各著者を彷彿とさせるテーマを考え出してさ、そこから吉川英治文学新人賞の意義とか、こういう作家を育てることに貢献したとかナンとか、浮かび上がらせるってわけにはいかないのか。嘘でもいいから、とは言わないが。追い詰められて出た嘘から、ある深い真実が窺えるって、そのぐらいの小説的な「創作力」を編集部だって持っていていいんじゃないか。そうであれば、なるほど読者も今号を買った甲斐があり、これから吉川英治文学新人賞に注目して、受賞作家を記憶に留める・・・ってことも。
もっとも、こういう傾向の作品に与える賞である、なんて枠を狭めるような真似をするのは、賞が自分で自分の首を絞めるようなものかもしれない。融通も、まわり持ちも利かなくなってしまう。けれども、そうやっていると印象の薄い、薄ぼんやりした賞が増えてしまって、受賞がちっとも売り上げ増に結びつかないなんてことになるんじゃないか。ただ、何となく権威だし・・・って雰囲気だけで、買おうか読もうかと思ってくれる読者はどんどん減っている気がする。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■