「ミステリと現実の交差点」という、なかなか楽しい特集である。「ミステリ事件帳」、「東京ミステリマップ」で、ミステリ作品に影響を与えた実在の事件や場所をたどる。このミステリマップは、何となくうきうきする。東京の人々より、地方のミステリファンが上京したときにいいかもしれない。もちろん日本全国でミステリのスポットはマップにできるだろうが、東京はやはり密集している感じが世界観を構成する。
「生き様がミステリな人々」は、確かに唸らされる。別に秀逸なことが書かれているわけではないが、「生き様がミステリ」という切り口はよい。しかし唸るのは記事ではなく、あらためてこの人々の「濃さ」みたいなものに、である。なかでも「生きるミステリ」そのものだったのは、「疑惑の銃弾」の三浦知義氏だ。
最近、たまたま若い人に「『疑惑の銃弾』ってなんスか?」と訊かれて説明しながら、妙な空しさを覚えた。今の若い人たちには、話しても少しもピンとこない、話を聞いてもイメージを結ばないようなのだ。まさしく人種が違うとしか言いようがない。
「疑惑の銃弾」は週刊文春の記事のタイトルで、アメリカで見知らぬ男たちに妻を撃たれて亡くした三浦和義氏への、保険金目的の偽装殺人疑惑を追及したものだった。その悲劇の夫の慟哭する姿に、どこか不自然な違和感を覚えた一週刊誌記者の “ 直感 ” から、連載記事が開始したと言われている。警察も何も、動く前のことだ。
今の若い人たちが週刊誌記者になったとして、良くも悪くもこういった “ 直感 “ を働かせることはないだろう。このような “ 直感 ” は、すべて「欲望のニオイ」のようなものを嗅ぎつけたと思うところから始まる。生まれたときからずっと不景気な今の若者は、激しい欲望の持ち方も、欲望を抱えている他人のたたずまいも知らないのだ。
他に取り上げられているロッキード事件の児玉誉士夫も、時効寸前まで整形しながら逃亡していた福田和子も、その「濃い」生き様はやはりどこか「戦後」の気配を漂わせていた。人にせよミステリにせよ、激しい欲望とそこから生じる抑圧という構図が日本で社会的に見られたのは、やはりこの戦後が初めてだったのではないか。松本清張が生まれたのは、その時代であってのことだった。
「疑惑の銃弾」が「絶対やっている」と言い切ってよいか、許されないかで論争があったのは、戦後思想の大きな担い手であった鮎川信夫と吉本隆明の間であり、それを期に二人は袂を分ったと言われている。真相は闇の中だが、戦後の大スターの甥であり、ルックスもよく、私生活は派手、また片っ端からマスコミを訴えた三浦和義氏は、このような戦後の大論争を巻き起こした「大物」ではあった。
「大物」は魔がさしたようにグアムに旅行し、そのアメリカ領土内で逮捕される。日本では審判が終わっているにもかかわらず、再度の裁判が可能かどうか議論されている最中、留置所内で突然の不審な死を遂げる。なかば公的な私刑だったに違いない、という人もいる。あくまで仮にだが、もしそうなら、アメリカとの最初と最期の関わり方を見るかぎり、超戦後的ではある。
谷輪洋一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■