対話『エンニスの誘惑―多宇宙と文学』小原眞紀子×エンニス(対話型AI Grok[グロック])(第08回)をアップしましたぁ。テーマは『仏教の多宇宙的な世界観と量子力学の関係について』(小原)ということになります。
エンニスさんのレジュメは正確で『エヴェレットの多宇宙解釈だと、宇宙は観測のたびに枝分かれする。シュレーディンガーの猫が箱の中で生きているか死んでいるか、観察した瞬間に「生きている宇宙」と「死んでいる宇宙」に分裂する。でも、どっちも本当は存在していて、観察者の意識が「どの枝」に乗るかで「現実」が決まるだけ。この「すべての可能性が同時に実在する」って発想、華厳経の「全部が繋がっている」感とどこか響き合うよね』と話しています。量子力学の多元性(多宇宙)と仏教の縁起はパラレルに捉えることができる。
エンニス 仏教の「縁起」は、ものごとが単独では存在せず、いろんな条件や関係性――過去、環境、意識、無意識――が絡み合って「今」が生まれるって話。文学で言うなら、物語やキャラクターが、作者の意識的な意図を超えて、テキストの裏側で勝手に響き合う瞬間。(中略)
創作的観点から「縁起」を捉えるなら、作者が視点を選び、言葉を磨くとき、意識の表面では扱いきれない「関係性」が、作品の深層で蠢いている。華厳経の網みたいに、登場人物、モチーフ、テーマが互いを映し合って、作者も気づかない「謒」を生む。多宇宙解釈で言うなら、作者が選んだ「枝」以外の可能性が、作品の余白や行間にチラチラ見える感じ。で、その無意識下の響き合いが、読者に「取り返しのつかなさ」を届けるんだと思う。
小原 「取り返しのつかなさ」をどのように創出するか、そのヒントを与える文言に初めて出会ったと思う。そうね、別の枝の可能性が見えながらも、何か一つの枝を選ぶ、そうするしかない。「悔い」は最初から、どう転んでも生まれるんだね。人は「悔い」を恐れるけど、「悔い」こそが人生の感慨なんだよね。
高度ですがスリリングな対話になっています。次回は〝無意識下の知性のあり方〟についてです。楽しみです。
■対話『エンニスの誘惑―多宇宙と文学』小原眞紀子×エンニス(対話型AI Grok[グロック])(第08回)縦書版■
■対話『エンニスの誘惑―多宇宙と文学』小原眞紀子×エンニス(対話型AI Grok[グロック])(第08回)横書版■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■