『鴨川ホルモー』や『プリンセス・トヨトミ』などで知られる万城目学さんの短編「三月の局」が掲載されています。京都を舞台にした小説で定評ある作家様ですが、まー、お上手ねぇ。超流行作家様にお上手なんていってもしかたないのですが、やっぱり惚れ惚れしちゃうような筆運びですわ。ムダがあるようでないのよ。小説の場合はムダだらけだけどまったくムダがないと言っても同じですわね。
にょご。
私はむかし、にょごだった。
と言っても、二十年以上もむかしの話だけれども
「2001年京都の旅」
そんなキャッチフレーズを心に掲げ、私は京都にやってきた。実際は旅ではなく、ひとり暮らしが目的だったわけだが、映画の原題は「2001:A Space Odessey」だから問題ない。オデッセイの意味には「冒険」も含まれる。
万城目学「三月の局騒ぎ」
お作品の冒頭ですが情報満載ね。まず「にょご」に引っかかりますわね。女御だということはすぐにわかりますが、一行目で作品全体のテーマがズバリ表現されています。そして時代は2001年。今から24年前です。大昔ではありませんが2000年代は高度情報化時代の幕開けです。インターネットを中心とする高度情報化時代はわたしたちの生活を激変させました。そして京都にやってきた理由は「冒険」。
主人公は女子大生の若菜です。京都の大学に入学し北白川女子寮マンションに入居します。築50年近い古いマンションで、最初は「こんな魔窟のような場所でひとり暮らすのか――。何だか泣きそうな気分」になりましたがすぐにそれが好ましく思われてきます。むしろ古いけど居心地のいいマンションでなくてはならないのです。
北白川女子寮マンションには独特のルールというかネーミングがあります。
・まず、寮生のことを「にょご」と呼んだ。/漢字で書くと「女御」になる。
・平安時代、天皇が住む御所の中に、さらに妃たちが住むエリアがあった。妃たち、すなわち女御のみなさんの住居には中庭が設けられ、人々はそれを壺と呼んだ。(中略)たとえば、藤の木が植えられていたなら「藤壺」、梅の木なら「梅壺」というように――。
・北白川女子寮マンションでは、にょごたちの部屋のことをこう呼んだのだ。/「局」と。
同
現代の女子寮に平安貴族の女性たちの生活の記憶が重なります。京都ではありそうに思えてきますわね。もちろんそれだけではありません。
北白川女子寮は一回生の時は三人部屋、上級生になるにつれ二人部屋、個室を選べるシステムになっています。時代はまだインターネット普及期でピーゴロゴロのダイヤルアップ回線です。でも寮生が自室に電話回線を引くことはできません。それでもパソコンに興味を持つ学生はいて、若菜は二回生の時に同室になった学生から「日本最初のインターネットカフェは一九九五年、京都で誕生した」と教えられます。「これだけ保守的なものが生き残っている一方で、ぬけぬけと真新しいことに手を伸ばしがちなのが、京都の奇妙なところである」とあります。平安貴族的ネーミングを持つ女子寮に、当時最先端のインターネット重なるわけです。
いつものゆったり口調で語られると、つい「そうなんだ」と納得して聞き流してしまいそうになるが、椎ちゃんが主張するところは「キヨは十四回生以上」というとんでもない内容である。
「それはさすがに・・・・・・、OGさんの見間違いだよ。おととい会ったとき、三十歲を超えている人には見えなかった」
「私のバイト先にいる三十二歲の人、今も新歓の時期に大学の前を通ったら、新入生と間違えられてビラを渡されるって言ってた。小作りな顔だと案外わからないよ」
椎ちゃんは、風呂上がりゆえ清々しいくらいに眉がない目を細め、オロナミンCの瓶をくいっと一気に飲み干した。確かに小柄な雰囲気で、小顔ではあったけど――、と心で首をひねりながら私もオロナミンCに戻るも、口をつけてすぐに離してしまった。そうだ、私は炭酸が苦手なのに、何でこれ買っちゃったんだろう。
同
物語は北白川女子寮にずっと住んでいるキヨという学生の謎を巡って進みます。関東では留年しても大学二年生、三年生と言いますが、関西では大学の在籍年数で回生という言い方をします。留年して大学一年生のままの学生は二回生なのです。キヨは大文字焼が見渡せる寮の特等席といっていい個室に住んでいますが十四回生だという噂があります。大学はどんなに長くても八年で退学になりますが、間に休学を挟めば不可能だとは言い切れない。だとすると現役入学していればキヨは三十二歲ということになってしまう。そんなことがあるのでしょうか。キヨはめったに寮生の前に姿を現しません。「どこの大学に通っているか、何を勉強しているか、何回生なのかも――、全部謎」とある。
それはともかく「心で首をひねりながら私もオロナミンCに戻るも、口をつけてすぐに離してしまった。そうだ、私は炭酸が苦手なのに、何でこれ買っちゃったんだろう」という記述は見事ですわ。決定的なことが書かれているのにそれをフッと些細な日常に反らしてしまう。そういうところがさすが手練れの流行作家様でござーます。
そんな私ゆえ、『坊っちゃん』に登場する、最高にキュートなおばあさん「清」のことも当然、大好きだった。
作品のなかにおける清の行動は、いつだってズレている。ただし、物語の主人公である坊っちゃんもかなりズレているので、ズレた者同士が共鳴し合って、魅力的な人物が勢ぞろいする作品の中で、清は随一の愛らしいおばあさんに仕上がっているのだ。
清のよい点は、とにかくやさしいところ。坊っちゃんの家に勤めるお手伝いとして、幼少期から彼の世話をしていただけあって、贔屓の引き倒しなところもあるが、坊っちゃんに注がれる慈愛の深さを支配する文章に触れて嫌な気分になる人なんて、きっと世の中に存在しないはず。
つまり、私には特段の清愛があった。
同
お作品に挿入される夏目漱石『坊っちゃん』のお話は、ムダだらけで一切ムダがない優れたお作品のお手本のようでございますわ。鶴山裕司さんは『夏目漱石―現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)の『坊っちゃん』を論じた箇所で、
『坊っちやん』に登場する若い女はマドンナだけだが、彼女の心を推しはかることができる描写は一切ない。坊っちやんもまったく関心を示していない。(中略)
また坊っちやんと山嵐は赤シヤツと野だいこを成敗するが、それは私怨を晴らしたに過ぎない。学校を去るのは坊っちやんたちであり、彼らの「正義」の戦いは社会に敗れたのだ。しかし松山を去る坊っちやんに暗さはない。彼には帰る場所がある。(中略)
東京に帰った坊っちやんは夫婦のように「清とうちを持つ」。坊っちやんと清の愛は永遠のものである。それは「御墓のなかで坊っちやんの来るのを楽しみに待つて居ります」という清の臨終の言葉に示されている。坊っちやんは清の死を看取り、血縁者ではない清の骨を実際に自分の菩提寺の墓に入れてやる。日本の家制度では現代でもほとんどあり得ないことだ。ただ若い男と年老いた女中の間で愛が成就する点に、漱石が希求した愛の現実世界での実現不可能性が良く表現されている。
漱石は『坊っちゃん』で彼の倫理的社会思想と現実社会との衝突を初めて正面から描いた。それは漱石が理想とした明治の新たな倫理思想でもある。もし明治三十九年に『坊っちやん』が書かれていなければ、わたしたちの明治時代に対するイメージは変わっているはずだ。それは明治の清新な精神が『坊っちやん』という作品によって言語化されたことを示している。『坊っちやん』は日本近代社会の、明治という青春期の精神を体現している。それは文学作品に許された最高の栄誉である。
鶴山裕司『夏目漱石―現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)
と書いておられます。
『坊っちゃん』は何度も映画やドラマ化されていて若くて美人のマドンナにフォーカスされることが多い。しかし虚心坦懐に読めば鶴山さんが書いておられる通り「坊っちやんと清の愛」の物語です。坊っちゃんは松山に赴任してから清の手紙を待ちわび、遊びに行っても清のことばかり考えている。
万城目さんの『坊っちゃん』の捉え方も同じですね。『坊っちゃん』の挿話から続く謎めいた寮生キヨは主人公にとっての守護天使のような存在です。もちろん『坊っちゃん』の清のような親身な女性ではありません。むしろぶっきらぼう。しかし彼女は主人公若菜に決定的影響を与えます。平安時代と重なり合うような形で。それがどんな影響なのかは実際にお作品を読んでお楽しみくださいませ。ただキヨが発した言葉は示唆的です。
「私ほど、その篇首を知られている者は他に存在しない」
同
四回生になって若菜はキヨと同室になりますが、キヨはほとんど口を聞いてくれません。が、ある日唐突に話し出し「私ほど、その篇首を知られている者は他に存在しない」と言い放ちます。「篇首 一篇の詩、一巻の書物や文章のはじめ」とあります。平安王朝文学で一番有名なフレーズ(篇首)を思い浮かべていただければなんとなく想像がつきますです。
キヨが言い放った言葉は万城目さんの作家としての矜持かもしれません。前回の時評で書きましたが、ビジュアル全盛で動画と音声で知識からエンタメに至るまですべての情報を得られる高度情報化社会はこれからも加速度的に進歩することはあっても絶対退歩しません。そんな時代にあって文字だけで何かを表現し伝達しようとする小説に純文学と大衆文学の区別なんてあったものじゃございません。文字だけで表現・伝達を行う小説はある意味全部純文学。その文字表現の、小説表現ならではの純な部分を持っている小説がよい小説であり本当の意味での純文学なのですわ。よいお作品でございました。
佐藤知恵子
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