今号の巻頭は林真理子さんの「皇后は闘うことにした」でござーます。『ルンルンを買っておうちに帰ろう』や『今夜も思い出し笑い』が強くイメージに残っているアテクシたちにはちょっとビックリなんですが、林先生は今や日本文藝家協会理事長でいらっしゃいます。実質的に日本の文壇のトップね。上り詰められましたわねぇ。
大篠夏彦さんがお書きになっていたことがありますが、日本文藝家協会は文藝春秋社ビルの中にございます。公益社団法人ですが、純文学誌「文學界」を刊行していて実質的に芥川賞を出している文藝春秋社の影響力がとっても強いのでござーます。「文學界」新人賞受賞が芥川賞受賞への一番の近道であるのは言うまでもございませんわね。たいていの場合時間がかかりますけど。でも芥川賞って節操のない賞でもあって、一般社会で話題になる受賞作は文學界系ではなく、いわゆる飛び道具系作家のお作品の場合が多いわけですが。
もちろん日本文藝家協会は作家たちに多大な貢献をしているから日本の文壇の中心なのですわ。健康保険があるから加入しているという作家様は多いわね。共同墓地もございます。簡単な法務相談も行っていたと思います。そういうモロモロあって、日本文藝家協会と芥川賞を実質的傘下に置く文藝春秋社が日本の純文学の総本山なワケ。文春砲もありますし文藝春秋社様とは絶対ケンカしちゃダメよぉ~。あ、林さんは最近では日本大学理事長としても有名ね。うーんスゴいっ。
普通、日本文藝家協会理事長や日本大学理事長といった要職に就くと作家としてはアガリで小説を書かなくなるものです。が、林さんは違います。以前ほどではないですが書き続けておられます。ただ全盛期の流行作家のように月産300枚、500枚書くわけではないのでテーマや内容が絞られてきていますわ。
「妃殿下(大正天皇[当時は皇太子]妃節子)もご存知のとおり、皇后陛下(明治天皇妃美子)は何度か華族女学校に行啓あそばされました。その時、妃殿下をご覧になり大層お気に召されたのです」
おそらく子どもをたくさん産みそうな健やかさだとお考えになったに違いない、という節子の想像を(下田)歌子は裏切る。
「あの娘こそ、わが国を救ってくれるだろうとひらめかれたのです。あの頃、皇太子殿下のお加減はよろしくなく、宮中をあげてそれこそ一喜一憂しておりました。今はかなりお健やかになられましたが、それでも帝に必要な強さはお持ちではありません。ですから女の帝が必要なのでございます」
「女の帝でございますか」
全く意味がわからない。
「妃殿下も皇室の歴史をお学びならご存知でありましょう。わが国は推古天皇はじめ何人かの女帝があらせられます。しかし本当の力をお持ちだったのは神功皇后でございます。神功皇后は、ご懐妊されながらも御自ら剣を持ち、朝鮮に出兵なさったのです。国が危うくなる時、必ずそういう皇后が現れる。皇后陛下も私も信じておりました。そして私は力を尽くして、妃殿下を皇太子妃にご推挙申し上げたのです。(中略)それというのも、妃殿下に、皇后という名でこの国を治めていただきたいからでございます。(後略)」
林真理子「皇后は闘うことにした」
「皇后は闘うことにした」の主人公はまだ皇太子だった大正天皇妃節子です。大正天皇は当初美貌の姫と結婚する予定だったのですが節子妃に決まった。健康ですがあまりお美しくなかったとあります。節子妃は自分が「毎年律儀に卵を産み続ける、黄色い黄金色の卵を産むニワトリ」だから妃に選ばれたんだろうと思います。しかしそうではなかった。当時宮中で強い力を持っていた、歌人として知られる下田歌子が節子妃が皇太子妃に選ばれた本当の理由を語ります。
小説というフィクションですが林さんがお書きになりたい内容は明快でございます。最近では皇室モノ、王室モノが増えていますがその一連の流れでございますわ。林さんがお考えになる社会的使命を小説で果たそうとなさっているのだと思います。
アテクシ、東京都知事を長く勤められた石原慎太郎さんの最晩年の小説が好きなのよ。最晩年の小説を読むと慎太郎さんはまがうことなき虚無主義者で、絶望を抱えておられたお方だということがよくわかります。彼のマチョイズムが女々しさを持っていることはしばしば指摘されてきましたが、虚無主義の破れかぶれが乱暴な言動となり国会議員や都知事といったこの世の栄達を求めたのでしょうね。極端なことを言いますと早く死にたかったお方です。それはある種の典型的な戦後の男の姿ね。林さんはまだまだ晩年とは言えませんが作家活動の後期に入ったのは確か。お作品の内容は単純になっていますが作家本来の資質はこれからもっと尖鋭になると思います。
「なんで揚げパンなんか食べたいんだろう」
私は大げさにいやな顔をしてみせた。ほんとだよね、とミナがまた同意してくれると思った。油がギトギトしていて、くさい。たぶん悪い油を使っているのだ。
でも、ミナはびっくりしたような目で私を見た。どうやら私は何かを間違えたらしい。落ち着いて、自分のいったことを思い返してみる。だいじょうぶ、それほど大きな間違いはしていないと思う。だって、たかが揚げパンとじゃんけんだ。
私は二年生だったけど、自分がよく間違えてしまうことを知っていた。そして、間違えてしまう自分は間違っていないということもわかっていた。友達のほうがおかしいのだ。でも、反応がずれたときにはこちらが引くほうが簡単だった。私の方が正しいし、強い。そうわかってさえいれば、余裕がある。
宮下奈都「ミジンコ」
巻頭から二作目は宮下奈都さんの「ミジンコ」。主人公は中学三年生のニチカです。小学校からの同級生に美人で性格もいいミナがいます。ニチカは秘かにミナに憧れていますが親友というほど親しくない。でも心に刻まれた思い出がいくつかあります。
小学二年生の時に給食で揚げパンが出た。同級生たちには人気で、休んでいる生徒の揚げパンを誰が食べるのかでジャンケンになった。ニチカは揚げパンが好きではないのでミナにふと「なんで揚げパンなんか食べたいんだろう」と言います。「ミナはびっくりしたような目で私を見た」。ミナはわたしと同じ意見ではなかったのです。
ここから主人公ニチカの心理描写です。「(私は)自分がよく間違えてしまうことを知っていた。そして、間違えてしまう自分は間違っていないということもわかっていた」、しかし「反応がずれたときにはこちらが引くほうが簡単だった。私の方が正しいし、強い。そうわかってさえいれば、余裕がある」と続きます。なかなか込み入ったと言いますか、ちょっと厄介な性格の女の子ですね。
お作品のタイトルは「ミジンコ」です。小学生の頃のミナは「小さくて白くて弱っちくて、ミジンコみたいに見えた」。しかしミナは中学生になるとキレイな女の子になっていた。それにニチカが気づかなかった理由は「私には私以外みんなその他大勢だったからだ。ミジンコのように小さくて弱くて、みんな似たり寄ったりだと思っていたから」です。
ニチカは決して目立つ子ではありません。むしろ目立たないようにしているので同級生にとってはニチカの方が「その他大勢」だったかもしれない。しかし彼女の中では逆転しています。
では物語はニチカのちょっと肥大化した自我意識がへし折られる方向に進むのでしょうか。それとも彼女本来の自我意識が発露される方向に進むのか。いいえ、どちらでもありません。
各中学校からひとりずつが雑役のために中央へ動員される。国はほんとうは徴兵制を導入したかったらしい。それが根強い反対にあって実現できなかったから、代わりに雑役という名目で中学の卒業生が集められるようになった。雑役の中身は安全で軽い仕事だということ以外、詳しく知らされていない。制度が始まって三年、まだ地元に戻ってきた人はいない。
同
んん? という展開ですわね。中学を卒業する際に、男女を問わず全卒業生の中からくじ引きで「雑役のために中央へ動員される」生徒が出る。これは現代の制度ではありません。近未来かパラレルワールドのお話ということになりますが、その背景説明は一切ない。雑役動員という特殊な社会制度以外は今の現実社会と変わらないのです。
ニチカの学校でも中学の卒業式にくじ引きが行われます。くじが当たったのはミナが思いを寄せている岡田君でした。岡田君も目立たない子です。「ミジンコという生きものは擬死行動で――死んだふりをして――天敵から身を守ると読んだことがある。岡田くんもきっと一生死んだふりをして生きていくんだろうと思った」とある。誰もが避けたい得体の知れない雑役動員に当たってしまった岡田君は、恒例として全校生徒の前でスピーチします。
「なんとなく僕が当たるじゃないかと思っていました」(中略)
「この抽選がどういう仕組みになっているのかはわかりません。僕らからは絶対見えないようになっているんだと思います。でも、絶対なんて、ないですよね。絶対だって安心した時点でほころびが始まってるんだと爺ちゃんがいってました」
笑いを取るつもりだったのだろうか、岡田君の家に爺ちゃんなどいないことをみんな知っている。
「だから、僕は、行って確かめてこようと思っています」
体育館は静まり返ってきた。確かめてくる? 何を? どうやって?(中略)
そのとき、ぱち、ぱちと小さな拍手の音がした。すぐ近くから聞こえてくる。ミナだ、と思うのと同時にあちらこちらで小さな拍手が生まれた。(中略)それはさざ波のように広がって、やがて不穏なうねりになって体育館を埋めていった。
同
この箇所がお作品のクライマックスなのですが、うーん、よくわからない。解釈しようと思えばできそうなのですが、やっぱり解釈しきれないと思いますわ。久しぶりに大衆小説誌でスッキリと読み解けないお作品に出会いました。このお作品は純文学小説専門の大篠さんや萩野篤人さんの批評のテリトリーですわね。
佐藤知恵子
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