波木銅先生の「結局のところ、わたしたちはみな」はいいタイトルですね。〝わたしたちはみな、なんなの?〟と気になってしまいます。それが知りたくてお作品を読む読者はいるでしょうね。ただこの〝で、なに?〟は作品中であっさり明らかにされます。「結局のところ、わたしたちはみな、瞞し騙し、嘘をつきながら生きているわけです」。それは昔からそうと言えばそうなんですが、現代ではその現れ方がちょっと変化してきています。
「ぼく実は、ネコなんて飼っちゃいないんですよね」
「え?」
彼は肩の力を抜き、フーッと息を吐いた。
「あれ、全部フィクションなんですよ。ただコミックエッセイっぽく描いてるだけで」
「マジ?」
「実話だなんてひとことも言ってませんからね。モキュメンタリーみたいなもんです」
波木銅「結局のところ、わたしたちはみな」
主人公は辻という女性です。三十歳になろうとしていますが、新卒で入った会社を三ヶ月で辞めて今はアルバイト生活です。生活は不安定ですが「正直な話、一般的なレールが敷かれた人生を送っていない自分を誇りにさえ思っている節がある」とあります。
辻はアルバイト先主催のスタッフお誕生日会という名目の飲み会に参加します。辻はオタク系で人と交わることが苦手です。でも自分からきっぱり社会との関係を断とうとも思っていません。そうでなければ苦手なパーティ(お誕生日会)に参加したりしませんよね。
パーティを抜け出し喫煙所でタバコを吸おうとすると、先に同僚の北澤という大学生がいました。ポツポツ話すうちに、北澤はネットでネコマンガを描いていると話します。ゆるいコミックエッセイで辻もそれを読んでいました。ただ北澤は意外なことを言います。実はネコを飼っておらず、架空の出来事を描いているだけだと言ったのです。
ただしその告白に重大な重さはありません。また北澤のマンガはネットで話題になり、出版社から本が出ることも決まっています。「え、すごい! プロになれるじゃん」と辻は言いますがやはり北澤は醒めています。「ネットで有名になって、チヤホヤされたいとか……そういう気はさらさらないんですけど」「しょーもないじゃないですか。ボタンひとつで全部なしにできる関係なんて」と笑いました。
「結局のところ、みんな少なからず嘘つきなわけじゃん。とくに、こういう場では」
こういう場? と辻は繰り返す。
「いきなり花束渡されて、喜ぶそぶりをみせる・・・・・・とか」
「あ、ああ」
笑っていいのか分からないが、辻は口角を小さく持ち上げた。
「花って貰うとちょっと困らない? ワンルームで置く場所なんてないよ。みんなさぁ、花瓶なんて持ってるの?」
同
喫煙室に今夜のバースデーパーティの主役の女の子・藤沢もやって来ます。北澤と同じように辻とヒマつぶしの話を始める。嬉しそうにバースデーケーキのロウソクを吹き消し花束をもらっていた藤沢は「今回だって、みんな私の誕生日なんて祝いたいわけじゃないのに来てくれてるわけでしょ? まー、建前って、大事だよね」と毒づきます。辻の返事は「いやぁ、そんなことないんじゃないかな」です。辻も付き合いで参加しただけですが、彼女は本音を押し殺します。それが今の辻の生き方だからです。
パソコンの前に座って、ブックマークしていた『note』のマイページを開く。昨日投稿したブログの閲覧数を確認し、数値が好調であることを確認する。(中略)
『結局のところ、わたしたちはみな・・・・・・』とのタイトルで開設した個人ブログ、退屈しのぎにはじめたそれが、今の彼女にとって重要なルーティーンになっている。いつしか藤沢に言われた「聞き上手だよね」という社交辞令を真に受けた彼女は、そういうコンセプトのブログをはじめてみることにした。それが上手い具合に、カチッとハマったわけだった。
不特定多数から「悩み」の投稿を募り、基本的にそれを全肯定した返信をする。とくに目新しい目論みではなかったが、独特の語り口調、「誰も否定しない優しさ」が今の時流とマッチし、定評を得た。このサービスは収益化も可能だ。定期的な投稿と口コミを通じて、とりあえず今の彼女は、部屋から一歩も出ずに食費くらいは稼げるようになった。
同
内向的で人付き合いが下手で、しかし誰かと話したい、交流したいと思っている辻は『結局のところ、わたしたちはみな・・・・・・』というタイトルの悩み相談ブログを始めます。誰もが自己を主張し、傷つきたくない、不公平だ、偏見だ、古い価値観だと声を荒げる現代社会を反映して、辻の悩み相談のウリは「誰も否定しない優しさ」です。たとえば子育てに悩む主婦には「とりあえず、周りの言葉なんて気にせず、あなたがやりやすいようにやればいいんじゃないでしょうか」と書き送ってあげる。それで相手から感謝されるのです。
ただ辻は自分のブログの言葉が相手に届いた瞬間に消え去る儚いものだということを知っています。母親から電話があり、自分とよく似た内向的な妹の楓が、コメディアンを目指してお笑い養成所に通い始めたと聞かされます。母親は楓が変化したのは「悩みを聞いてもらえるような人がいるんだって。あなたはあなたのやりたいようにやるべきだって、言ってもらえたみたい」だからだと言います。楓の返事は「最近そういの流行ってるけどさぁ。とりあえず肯定すればいいってもんじゃないと思うよ。もっとちゃんと考えてさぁ」です。自分がやっていることの全否定ですね。辻の言葉は決定的な強さを持っていない。
最近の大衆小説ではマンガやお笑い、YouTubeなどを小道具に使うことがおおござますね。それぞれ厳しい世界ですが、成功すればビックリするほどのお金が入ってきます。辻のアルバイト仲間の北澤がその予備軍ですし、辻自身も悩み相談ブログで「食費くらいは稼げるようになった」。まあ言ってみれば小説家より稼げる可能性が高い。でも北澤が言ったようにそれは「ボタンひとつで全部なしにできる関係」かもしれない。ネットで稼げる可能性は持っていますが北澤も辻も浮かれていない。それはなにかのとば口に過ぎないのかもしれない。
「結局のところ、わたしたちはみな・・・・・・」
どうすればいいですか?
同
小説はタイトルを繰り返した問いかけで終わります。現代的風俗と精神状況を的確に描いたお作品でございます。「どうすればいいですか?」の答えは小説家なら小説にしかないわけですから、いずれ別のお作品で表現なさることと思います。
佐藤知恵子
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