池上晴之 連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第08回 最終回)をアップしましたぁ。パッションに溢れた評論です。あまりザ・バンドに興味のない方でも読み出せば池上さんのパッションにつられてどんどん読んでしまうのではないかと思います。こういった評論を書ける作家は幸せです。
ぼくは、「一つの無名にして共同なる社会」とは何か、そして「僕達の精神と君の精神とを結びつける架橋工作」とはどういうことなのかを考えていた。一九七七年になってザ・バンドの音楽を聴き始め、グリール・マーカスの『ロック音楽に見るアメリカのイメージ』(『ミステリー・トレイン』の旧訳)を読んで、ザ・バンドというバンドが共同体のイメージでとらえられていると知った。ぼくの中では「一つの無名にして共同なる社会」はザ・バンドの音楽に重なっていった。
池上晴之『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』
「一つの無名にして共同なる社会」は『荒地詩集1951』巻頭の「Xへの献辞」の中の言葉です。執筆者は鮎川信夫。池上さんの中では「一つの無名にして共同なる社会」とザ・バンドが密接に結びついています。それが池上さんの文学的イデアでもあります。つまりそれを実現してゆくことが池上さんの執筆活動です。このイデアを追い求める執筆活動は今後も続いてゆくでしょうね。
■池上晴之 連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第08回 最終回)縦書版■
■池上晴之 連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第08回 最終回)横書版■
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