小原眞紀子 音楽批評『騙し絵の中のピアノ―mono musical エスムラルダ(芝居・歌)+谷川賢作(piano)』をアップしましたぁ。ドラァグクイーン、エスムラルダさんとピアニスト、谷川賢作さんの公演のレビューです。音楽とは何か、その自己言及性について書いておられます。
そう、わたしたちは音楽のためにここにいて、音楽によってこの席に縛られているのだ。その音楽とは何ものかを問うているのが、この舞台である。ここへきて、なぜサラ・ベルナールなのか、なぜ(別日には)マレーネ・デートリッヒなのかが明らかになる。それはいずれも、わたしたちでない者だからだ。ドラァグクイーンという存在もここでは、自分でない者の意だ。目を惹く異形の存在、他者の物語は、自己を注意深く回避した騙し絵であり、考え抜かれた目眩しだ。
だからここでのサラ・ベルナールことエスムラルダの歌は、音楽であることを拒否し、「歌」という姿をなぞろうとする。いわばヴィジュアルな歌であろうとする。逆説的にわたしたちに音楽の存在を知らしめ、囁き続けるのは谷川賢作のピアノである。この構造に気づかないかぎり、公演は異和として展開し続ける。
小原眞紀子『騙し絵の中のピアノ』
小原さんはゴードン・ラムジーのYouTubeがお好きなようですね。『なぜそんなことになるかというと、ゴードン・ラムジーの声が好ましく、バカみたいに品数の多いメニュー(まずくなるのはたいていそのせい)を読み上げる声が、それはそれは音楽的だからである』だそうです。なるほど、声を発する主によっては、レストランのメニューも音楽になりますねぇ。
■小原眞紀子 音楽批評『騙し絵の中のピアノ―mono musical エスムラルダ(芝居・歌)+谷川賢作(piano)』■
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