皆さん戯曲って読んだことござーますぅ? そそ、舞台で上演するための台本よ。有名戯曲家のお作品は文庫本なんかになって出版されておりますの。アテクシ、たまーに舞台を見行くことがあって、古典戯曲――と言っても1960年代とか70年代のお作品でアテクシにとってはつい昨日のことですけど――の場合は文庫本で戯曲を読んでから実際の舞台を見に行くことがあるのよ。
んで紙の本で戯曲を読んでもどーも情景が浮かんでこないのよね。小説をたくさん読んでるせいかもしれないと思うわ。戯曲は飛躍が多い、と言いますか小説的なシーケンシャルな時空間の流れを飛び越してしまうのも戯曲の醍醐味ですから、小説読みにとってはなかなか難物なのよね。
でも昔劇団に所属していたことのあるお友達に聞くとぜんぜん違うのね。紙の戯曲を読むだけでありありとその情景が頭の中に浮かぶって言うのよ。戯曲には短いト書きがあって「森の中、三日月が出ていて背景は黒々とした山」とか書いてあるわけですが、もーそれで十分、視覚的イメージがほぼ完璧に湧き上がるって言うの。
その戯曲好きのお友達は、アテクシとは逆に小説を読むのが苦手なのね。どうしてかっていうと「殴られて歯が折れて唇から血がアスファルトに滴った」とか書いてあると、その情景が目の前に浮かんで「うっ」となっちゃうらしいの。小説読みにとっては暴力もセックスも小道具に過ぎないわけですが、ビジュアル化に慣れている舞台好きにとってはそれってとってもリアルなものになるのねぇと思ったことですわ。
これはまあ、若い頃に自然に身についた癖というか感受性でどちらが正しいとかいう問題ではござーませんわ。でも小説の場合、お作品がビジュアル的だと言っても限界はあるわね。結局はビジュアル(視覚表現)では決着がつかないわけで、落とし所はどうしたって人間心理よね。小説は現実世界をできるだけ忠実に描く表現ですからビジュアルがあるといえばあるわけですが、コアになっているのは人間心理というブラインド部分ね。
「そう、たまたま乗ってたんですよ、あの電車」
カクテルグラスを片手に、勇気はやや大げさに目をみはってみせた。
黒をメインにした内装に、ブルーとパープルのライト。ひかえめに流れる軽快なジャズ。ホストたちのグラビア風の写真が掲載された「男本」。この〈アキレス〉はホストクラブのなかではカジュアルな雰囲気の店だが、それでも非日常感は必要だった。なにもかもが少しずつ過剰で芝居がかった時間と空間を、客《ひめ》は求めている。(中略)
「びびったなんてもんじゃないっすよ。休みの日にふだんは乗らない地下鉄に乗って、ちょうど殺傷事件に遭遇するなんて、思わないじゃないですか」
降田天「英雄の鏡」
降田天先生の「英雄の鏡」の主人公は勇気。若くて健康な青年ですが「名前負けという言葉を知ったときから、それは自分のことだと勇気は思っていた」とあるように、順調な人生を歩んでいるとは言えません。大学を出て就職しましたがそれも続かず、とりあえずのつもりでホストをしています。源氏名は「ユウ」。微妙な源氏名ですね。変わろうとして変わりきれていないということです。当然売れっ子ホストにはなれず、ホストクラブでも片身の狭い思いをしています。
ホストはお客様(ひめ)を楽しませるのがお仕事なので、お酒が強いだけでなく話題も豊富でなければなりません。ユウが鉄板ネタにしているのは実際に体験した地下鉄で起きた無差別殺傷事件です。妊婦を守ろうとして老人が刺殺された大事件ですが、ユウもたまたま乗り合わせていたのです。犯人に立ち向かう勇気がユウにあるはずもないですが、臆病で逃げ足が速いとも言えません。ユウは電車から降りると自発的に乗客たちを地上への階段の方へ誘導しました。それなりに他者を思いやる心を持っている青年です。
「笑って受け流すこともできないわけね。笑ってても、本当は傷ついてるのが見え見えだったけど。ユウはなにもかもが中途半端なのよ。(陸上)選手として大成しなかったって言ってたけど、あなたみたいな人はなにをやっても勝ち組には入れないわ」
歯を食いしばる勇気をよそに、奈美さんは平然とグラスを空けた。店内をさっと見回し、「今日は帰る」とグラスを置く。
同
ユウを指名する数少ない客に五十代くらいの看護師の奈美がいます。お客も様々で、奈美はストレス発散のためにホストクラブ通いをしている気配です。腰の定まらないユウを罵倒することもある。同僚のホストも気の毒そうに見ています。
ユウは店の外に奈美を見送りに行った際に、若い男が彼女をつけているのに気づきます。男は憎しみに燃えるような目で奈美を見ていた。奈美が自分をストレス発散用のサンドバッグのように扱うお客であるにも関わらず、ユウは男をつけその家まで突き止めます。
「百歩譲っておまえの言うとおりだとして、青年はなぜそんなことを」
「あの目つきからすると、奈美さんに恨みを持ってるんだと思う。どこで恨みを買ってもおかしくない性格だし」
仁は思案顔になって顎をさすった。
「もしその想像が当たってるとしたら、それって危険じゃないか。彼女に恨みを持つ男があとをつけまわしてるなんて」
「だな」
「だな、って。本当にそう思うなら、本人に警告して、場合によっては警察にも相談すべきだろ」
もっともだ。そして予想どおりだ。仁ならそう言うだろうと思っていた。だが、
「それよりいい考えがある」
勇気は唇を舌で湿した。
「決定的なタイミングを狙うんだ」
「どういう意味だ」
「あいつはきっと奈美さんに危害を加えようとする。そのときを待つんだよ。絶体絶命のピンチに陥ったところで彼女を助ければ、おれは英雄だ」
同
ユウには仁という兄がいて、彼はユウとは正反対のしっかり者です。正義感も強い。ユウは地下鉄事件でも、もし仁が乗り合わせていたら迷わず妊婦を守るために犯人に立ち向かっただろうと思っています。仁に強いコンプレックスを抱えているのです。
ユウは仁に奈美さんが得体の知れない男につけられていると話ます。仁は奈美本人に忠告するのはもちろん警察にも相談した方がいいと言いますが、ユウは自分で犯人を取り押さえるんだ、そして「英雄」になるんだと言います。ユウは本名である「勇気」の人になりたい。名前と内面を一致させたいわけです。「英雄の鏡」はユウから「勇気」に戻るためのビルドゥングスロマンでもあるということですね。
小説の流れでは奈美をつけまわす男の目的は何か、本当に男は奈美を襲うのか、そしてユウは奈美を救って「勇気」になれるのかが小説の大団円でありブラインド部分にもなっています。ただ降田先生のお作品はそれだけでは終わらないわけでして。
「仁だったら・・・・・・」
無意識につぶやいていた。二十七年間、脳に刻まれた思考。(中略)
だめだ、なにも思い浮かばない。汗まみれの顔を手のひらで何度も拭う。
もうプライドにこだわっている場合ではない。仁に電話して相談しようと、スマホの画面をスクロールする。焦りのせいで目が滑って、登録してあるはずの連絡先が見つけられない。
「どこだ、どこだ、どこだ・・・・・・」
ふいに到着駅のアナウンスが耳に届いて、はっと顔を上げた。しばらく意識を失っていたかのように、いつの間にか時間が過ぎていた。気がつけば、混み合った車内で勇気の周りだけぽっかりと空間ができている。思わず見回したが、乗客はみんなうつむいたり顔をよそにむけたりしていて、誰とも目が合わない。
同
仁はユウの双子の兄ということになっています。そしてストレスから逃れるためにユウは先輩ホストからもらった、仕事に大きな影響は出ませんが気分を高揚させる違法ドラッグ(恐らく)を服用しています。いよいよ奈美をつけ回す男を取り押さえるという段になって、ユウは仁に電話して相談しようとします。が、「登録してあるはずの連絡先が見つけられない」。仁は果たして実在しているのか否か、ということですね。
こういったブラインドは舞台でも設定できますが、やはり小説ならではの〝飛躍〟と言っていいでしょうね。舞台なら最初から実在として表現するしかありませんが、小説では作家は万能で、闇から唐突にある真実を露わにすることができるわけです。
さて、ユウは奈美を救って勇気という本名にふさわしい青年になれたのか、仁は実在するのかは実際にお作品をお読みになってお楽しみください。
佐藤知恵子
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