むかーしむかしのお話でございます。パソがそれほど普及していない時代、プログラマは雑誌アスキー附録の「バグ退散」とかのお札をパソに貼ってましたわねぇ。ま、どこまでいっても人間のやることですから、必ずミスはあるものですわ。プログラミングも然りでありまして、どんなに気をつけていてもバグは出るものです。
これも昔ならではのお話ですが、小さい企業向けのアプリなんかを開発してるベンダーは、人が足りなくておおわらわでしたから、納期までにプログラミングが間に合わない。コアはしっかり作って付帯機能は後回しにして、それを起動するとエラーメッセージが出るよう小細工したりしてましたわねぇ。時間稼ぎしてお客からエラーが出たと連絡が来ると、「すいませんー、バグみたいですぅ」とか言いながらパッチを当てたりしてましたわ。こっちの方はわかりやすいヒューマンエラーね。
かくいうアテクシは、あんまし験担ぎしたりとか、ジンクスを守ったりしたことがござーません。もちわざわざ神社仏閣の立ち入り禁止の聖域に無断で入るといった不敬なことはしませんけど、日常生活で神頼み系のことはしませんわねぇ。
ただ神的なものを全否定しているのかと言うとそうではありません。コロナが流行ってから、アマエビとか、疫病退散のお札というか、アイコンが注目され始めましたわ。そういうのはとってもいいと思いますの。
ま、ちょっと虚無的な言い方になってしまいますけど、自分と社会の無力さを思い知る瞬間があるのは人間にとってとてもいいことだと思いますのよ。神頼みはその一つの表れね。ご利益を期待してもたいていは思い通りにはならないわけですけど、祈りというのは無力感の素直な現れであり、人間にしかない感情だと思いますわ。切羽詰まると何か研ぎ澄まされたような状態になる。それが大事なのよね。
写真部に入ったのは竹下さんのためだ。
数学の授業そっちのけで左側に座る竹下さんの横顔を見つめる。美人は三日で飽きるなんていうけど、あれは嘘だ。(中略)その気になれば永遠に見続けられそうだ。(中略)休み時間には上位学年の生徒たちまで用もないのに教室に来るほどだ。ただ、マスクのせいで今は顔の半分しか見られないのが残念でならない。
相川英輔「瑞獣と祈り」
相川英輔先生の「瑞獣と祈り」は学園モノ、高校生活モノ小説です。主人公は南雲という男子生徒で、クラスの美少女竹下冴衣にほのかな恋心を抱いています。そしてそこに中学時代からの友人の女の子、ヒカリが絡んできます。
ヒカリとはボクシングジムでもいっしょだったのですが、僕は骨折を隠して出場し続けたボクシングの試合で決定的に拳を痛めてしまい、もうボクシングができません。それが心の傷になっているのですが、ヒカリはずっとボクシングを続けています。
高校生活はコロナの影響で不自由なものになっています。休校は終わりましたが、皆マスクをしている。ところでコロナを題材にしたお作品、おおござーますわね。現代モノ大衆小説では、雑誌掲載の2、3割がなんらかの形でコロナを題材にしてるんぢゃないかしら。
それはともかく、ボクシングを辞めざるを得なくなった僕は、ヒカリに誘われて写真部に入ります。竹下さんを含めて三人だけの小さな部です。僕のお目当ては竹下さんですが恋愛モノではありません。僕とヒカリは、竹下さんの密かな願いを叶えるために協力します。
「しかし、寿なんて懐かしいなぁ」ポストカードをしげしげと眺めていた有馬先生がそう呟いた。
「えっ、ご存知なんですか?」
「ああ、まあね。でも、どうしたんだい?」
「私たち、寿について調べていて、どうしても知りたいんです」ヒカリが言う。(中略)
「先生、思い出してください!」竹下さんが身を乗り出す。
「帰ったら調べておくよ。(中略)」と先生は笑う。
「お願いします」竹下さんが深く頭を下げたので、僕とヒカリも慌てて倣う。
同
竹下さんがヒカリと写真部を立ち上げたのは、写真が好きだからではなく、実は「寿」という一種の妖怪を探すためでした。アマエビと同様に、その名の通り吉祥を表す想像上の生き物です。縁起物好き、洒落好きの江戸っ子の想像力が生み出した図像イメージですね。
僕ら三人は東京原宿の浮世絵専門美術館太田美術館に寿の絵を見に行ったりしますが、なかなか手がかりが得られません。ところが写真部の顧問の有馬先生が、重要な手がかりを知っていました。寿に出会える方法が浅井了意の『貞享雑談』に書かれているというのです。竹下さんは単に寿に興味があるだけではなく、実際に寿に会いたいと思っているんですね。会えばどうなるのか。願いが叶うのです。ただし一人につき一つだけです。
「ねえ、あれ!」突然ヒカリが大きな声をあげた。
十メートルほど先、空き地となっている芝生の上にそれは佇んでいた。
寿。
歌川芳虎が描いた浮世絵とは少し異なっているものの、探していた瑞獣に違いなかった。鼠の顔、龍の首、犬の前足と猿の後ろ足。人智を超越した存在。
同
了意の本に書かれている通りに関東の神社巡りをして、僕ら三人は実際に寿と出会います。あ、ホントに出たぁ!のパターンなのね、とアテクシ、声をあげちゃいましたわ。
まあホラーでも同じですけど、「人智を超越した存在」や出来事は、起こすか起こさないのかの二択しかござーません。前者なら異界に人間が翻弄され、後者なら人間界のドロドロとした闇がさらなる仕掛けとして主人公(たち)に襲いかかるわけです。
「瑞獣と祈り」は前者のパターンの小説なわけで、なぜ竹下さんがかくも熱心に寿を探し求めていたのかというのがお作品の肝になります。それは実際にお読みになってお楽しみあれ。
大衆小説らしく、「瑞獣と祈り」には様々な伏線が張られています。僕は竹下さんに恋心を抱いていますが、彼女は手の届かないアイドルですから恋愛が成就してもあまり面白くない。幼馴染みと言っていい、ボクシング少女のヒカリとの恋愛の方が地上的小説らしい。また古典知識豊富な竹下先生もいろいろ使い手がありそうですわ。その気になれば、この舞台設定であと数作は作品を書けそうです。
でもま、小説という地上の物語を天上にもって行くのはいつだって賛否両論がありますわね。中上健次は切羽詰まった主人公の目に、汚濁にまみれた現世から仏が見える、といふか、見えてしまったという小説を書いていますが、主人公は見てはならないものを見て、つっと目を逸らしたという結末でした。見てはならない存在が見えてしまうということは人間にとって試練でもあります。なかなか使い方が難しい小説要素なのよねぇ。
佐藤知恵子
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