どんなジャンルにもプロフェッショナルっていらっしゃるわよね。アテクシ、NHK様の「プロフェッショナルの流儀」とかはあんまり好きじゃござんせんの。その道に入ってきた人にノウハウ含めた流儀を教えるのは当然ですけど、関係ない人に心構えとかを語られてもねぇ。オールマイティの人っていませんから、プロって偏った能力とも言えるわよね。その偏りのデメリットや情けなさも含めて自分の能力を相対化して捉えている人が本物のプロって気がしますわ。黙って圧倒的能力の差を見せつけられる方がプロは尊敬できますわね。
何人か「プロねぇ」って記憶に残っているお方がいらっしゃいますけど、その中にチラシ配りのプロオジサンがいますわ。学生時代ですからもう何十年も前ですけど、駅でそのオジサンが必ずといっていいほどチラシを配っておられましたの。
チラシ配りって、やったことある方はおわかりでしょうけど、まー受けとってもらえないものなの。だけどそのオジサンのチラシ配り成功率は70~80パーセントでしたわ。ひょろっと背の高い方で、もちろん微笑みを浮かべた柔和な感じで、チラシによって「○○店開店です!」と声を出しながら絶妙な位置にチラシを差し出すのよ。
ほんの5ミリくらいの感じで行く手を塞いで、下げた手のあたりにチラシを差し出すので思わず受けとってしまうのね。知恵子様は学生時代から闘争心旺盛でしたから、オジサマと何度も対決しましたけどほぼ全敗でしたわ。家に帰って「開店セール焼き鳥1本30円」とかのチラシをじーっと見ましたわよ。チラシ配りにしか役に立たない能力ですけど、アテクシは真似できそうにないわ。今でも時々思い出しちゃうところがあのオジサマの凄いところね。人の記憶に残るチラシ配りオジサンってなかなかいないわよ。
「ご苦労さん、万葉も無茶だなぁ。チラシ配りって簡単に見えるけど意外とコツがいるんだよ」
あまりに無視されるのに心が折れそうになった沙羅が「トイレに行きたい」と万葉に訴えると、あっけなくチラシは回収された。小走りで古書店に到着するなり、トイレを借りた。人心地つくと、叔父さんがいれてくれたお茶とどら焼きを奥の和室でごちそうになった。
中江有里「その先にある場所」
中江有里先生の「その先にある場所」は、おなじみの連載小説で、叔父さんの古書店を手伝っている万葉と通信制高校に通う沙羅が主人公です。中江先生は芸能人としてもご活躍ですね。オール様に限らず文芸誌は芸能人や学者に小説を書いてもらうことが多くなっていますが、中江先生は本気で小説を書いておられます。オールでは壇蜜先生も時々お書きになりますわ。壇蜜先生はちょっとだけ私小説的ね。
今回のお作品のタイトル「その先にある場所」にあるように、万葉と沙羅は人生の岐路にさしかかっています。万葉はお父さんがドイツにいるのでそこに行くかもしれない。あるいは今不定期で手伝っているだけの叔父さんの古本屋を継ぐかもしれない。万葉には万葉なりの古本屋のイメージがあって、叔父さんの古本屋のガレージを借りて自分の好きなように本を並べて売ってみようとしています。そのためのチラシ配りです。
沙羅の方は通信制高校を卒業間近です。大学に進学しようと思っていますが学力が志望校のレベルに達していません。また大学に行って何をしようかというハッキリとしたヴィジョンも見つけられていない。悩み多い少年少女です。
挟んだ栞のところを開き、続きを読みだす。しばらく文字を目で追っていると、さっきまで揺れていた心が落ち着きを取り戻した。
沙羅は本を抱きしめながら思う。本は何をしてくれるわけではないけれど、読んでいると、ここにいてもいいという気持ちになる。居場所ができる。
――でも、これも逃げてるってことなのかな
本を読んだところで、将来の目標が定まるわけでない。それはゲームだって同じ。どこにもいかず、いくらだって時間をつぶせる。
限りある時間をつぶしてばかりじゃいけない。熱中して集中したあとに襲ってくる自己嫌悪はゲームのそれより本の方がマシに感じられる。その理由はよくわからないけど、沙羅には読む理由がはっきりとわかっていた。
同
ようやくピントが合ってきた感じがしますわね。アテクシ、正直に申しますと中江先生の万葉&沙羅モノがあんまりしっくり来ていなかったのよ。読書モノ小説全般にそれほど訴えかけるものを感じないと言ってもいいわね。ほんのちょっとですけど読書の特権性みたいなものを感じてしまうのね。今の世の中、ゲームとかアニメとかが全盛で若者のほとんどがそっちに行っちゃってるから読書人口自体が激減しているわけですけど、だからこそ読書に特権性を見出す若者が増えている気配がありますわ。本を読みたくさん集めるとか大事にするとかが、それ自体アイデンティティ化しているところがあるのね。でもそれもまた幻想よね。
読書はそれ自体は無目的よ。情報の収集手段とか、情操教育のためとかいろんな理由はつくにせよそんなにたいそうな理由はないの。問題はそこからどこに行くか、ジャンプするかね。読書モノ小説の場合は居心地のいい個の空間をどう相対化できる視点に抜けられるかが正念場になるような気がします。その正念場が現れてきたという感じがしますわ。
「これが、万葉くんセレクトの本?」
「うん」
頷いて眼鏡をかけなおした。恥ずかしい時の癖だ。六冊の本を眺める。一冊だけ沙羅の知っている本があった。
「これ読んだ」
そこには河合隼雄『こころの処方箋』があった。
「ぼく、好きなんだ」
「わたしも好き。もっと早くに読めばよかったって思ったもん。さすがのセレクト!」
「ぼくは選んだだけで、作者がすごいんだ」
万葉が真剣な口調で答えたので、沙羅は言う。
「でもさ、本は出会わなければ、意味がなくない? ないのとおんなじ」(中略)
「ここにある本を」
そこまで言うと万葉は、声を潜めた。
「今日、全部送り出したいんだ」
同
万葉は叔父さんのガレージを借りて本のセレクトショップを始めたのですね。そのためのチラシ配りです。沙羅が言うように「本は出会わなければ、意味がなくない?」のは確かなことです。一方でどんなに良書だと思っても、誰かに本を強制的に読ませることはできない(学校の教科書を除いて)。作家はそれに慣れているというか、そういった残酷を経て作品を書き続けている人種だと思います。つまり、読者と作家の間には断絶がある。で、万葉がセレクトした本は一冊も売れません。それでいいわけです。もっともっと冷たい結果でもいいくらいですわ。
プロというのはどの世界でも同じですが、世の中に対する冷めた絶望を抱えながら仕事をしている人たちでもあります。そのプロの世界に、多かれ少なかれ人はいつか足を踏み入れなければいけません。万葉&沙羅モノにピントが合ってきたというのは、彼らがようやくその敷居に立ちそうだからです。
沙羅は好んで奇抜な服を着ています。それを万葉の叔父さんは誉めてくれる。「沙羅ちゃんは本の読み方が個性的だよね。洋服のセンスと通じるのかな」と言います。それを受けて「沙羅が戦うために着る戦闘服を褒めるのは叔父さんだけ」とあります。これは思春期にはよくあることですよね。男の子が奇抜な学ラン着たり、女子高生がパンツ見えそうなくらいスカート短くしたりするのは戦闘服だからです。トゲトゲで自分を守っている。長ラン着てたら人は遠巻きにしてくれるし、パンツ見えそうな制服でも触ったり覗いたりしたら犯罪になる。挑発しながら自分を守っている。要するに本質的には世の中が怖い。それはとぉっても面白い小説の題材ですが、いつか普通の格好をして、本当に怖い人間に成長してゆかなければなりません。
「沙羅に目的がないって相談したのに、逆に聞かれるとはね」
何も答えてない、と言ったけど、まさか質問していたとは・・・・・・万葉はそのあとこう続けたという。
「沙羅は目的がないわけじゃないです。変わりたい自分になることは、立派な目的だと思います」
そう言うと立ち上がって、「失礼します」と一言残し、急ぎ足で出て行ったそうだ。
「沙羅は沙羅なりに頑張っているのに、何にもしていないと思っていた。それはお父さんが間違っていたよ。ごめんな」
「ううん」
お父さんがあまりに素直に謝るので、沙羅は戸惑った。
同
沙羅の父は娘のことを心配して万葉を家に呼び相談します。沙羅には人生の目標がないんじゃないかと。万葉は「お父さんに、目的はあるんですか?」と言い、「沙羅は目的がないわけじゃないです。変わりたい自分になることは、立派な目的だと思います」と答えたのでした。
万葉君も沙羅も、そしてお父さんも成長し、変わりつつあります。あと一歩ですね。
佐藤知恵子
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