コロナでリモートワークになって、すっかりお家でお仕事する心地よさが身について、リモート終わって会社に出勤しろって言われると「会社辞めます」って言い出す人が増えているらしいわね。そりゃそーよね。毎朝満員電車に乗らなくていいし、お家でお仕事って快適ですもの。サボってたわけじゃないけど、アテクシだって好きな時にお洗濯とかしてPAY – TV見まくりましたわ。
だけど営業職で取引先がリモート解除になっちゃうと出社しなくちゃならなくなるのよねー。で、リモートの方がいいっていう理由の第一位は人間関係だそうよ。ま、どこに行っても人間関係はついて回りますが、職場の人間関係の面倒臭さがイヤって人は多いみたいね。かくいうアテクシだってライバル社員がでーんと会社にいますことよ。
アテクシ、リモートの間に美容院に通って理想の髪型を追求しましたのよ。具体的に言うと面倒な白髪染めをできるだけやんなくてもいい髪型というか染め方を、若いイケメン美容師といっしょに研究したわけね。だいぶ髪型が変わったわけですけど、久々に出社したら天敵アキコ(推定55歳)がさっそくカマしてきましたわ。
「あーら知恵子様その髪型素敵ね~。溶けかかった春の富士山の雪景色みたいよぉぉぉ」
「あーらアキコ様、あなたこそ冬山でどんぐりたらふく食べた熊さんみたいでかわいいわぁぁぁぁっ」
「おーっほほほ」
「おーっほほほっ、おぉぉぉほっほっほっ」
いつものやりとりですけど、二人で職場の温度を二度くらい下げてやりましたわ。
でもま、これはオバサンならではの掛け合いでございまして、若いうちはそーもいかないわよね。だけどオバサンもやっぱり少女の心は持っているわけでござーます。
ホームルームがはじまる時間ぎりぎりに登校することにしている。今朝は下駄箱の中は大丈夫だった。教室に入り、自分の席に着く前にまず椅子をたしかめる。濡れていたり、ベタベタしていたり、ピンが置かれていたりはしない。座って、机の中を覗く。私は思わず声を上げてしまった。鳥の死骸が入っていたからだ。鳩のようだった。わかっている、何事も起きないなんてことはありえない。でも、まさか鳩の死骸だなんて。鞄から黒いビニール袋を取り出して、手にじかに触れないように気をつけながらそれを包み、机の奥に押しやった。イヤッ。男子生徒の誰かがさっきのわたしの声をマネして、クスクス笑いが起きた。
井上荒野「窓」
井上荒野先生のお作品は絶対読んでしまいますわねぇ。今回は学校でイジメにあっている少女が主人公です。長野から東京に引っ越してきたのですが、東京にも学校にもなじめません。長野時代から尿意が近くて失禁してしまうトラブルも抱えていました。心因性のもののようです。母子家庭ですが父親からの養育費振り込みなどはないようで、お母さんは必死に働いています。おまけに痴呆が始まったおばあちゃんを抱えている。私は学校でイジメにあっていることをお母さんに告白できません。「今、私のことまで考えなければならなくなったら、お母さんは壊れてしまうだろう」とあります。お母さん思いの優しい子なんですね。
で、荒野先生はこの繊細で優しい少女をこれでもかってくらい追いつめます。机の中に鳩の死骸を入れられて、それを仕方なくビニールに包んだだけでは済まない。私はあとで棄てようと鞄の中にビニールで包んだ鳩の死骸を入れたのですが、休み時間に男子生徒たちが「奇声を上げながら走ってきて、机の横にかけてある私の鞄に蹴りを入れた。ふたりで、何度も何度も私の机の横の通路を走り抜けて、鞄を蹴ったり、拳でドコドコと殴ったりした」とあります。荒野先生はとことん少女を追いつめるのですわ。
こういった描写は残酷ですわね。お作品に感情移入したら「なんてヒドイことを」と誰だって思いますわ。だけど作家様はそういうことを計算しておられると思いますの。小説の主人公に人権はござーませんのよ。現実には起こってはいけないことを小説で起こしてそれを描写することには意味があります。ズシリと心にのしかかり、ある瞬間にはゾクッと自虐の快感を覚えるところまで含めて優れた小説ですわ。読者は加害者の少年にも被害者の少女にもなれます。私は男子生徒二人の残虐なイジメを「その横で、じっと机を見ていた」。残酷でも目を離しちゃいけないのです。
私は保健室の横のトイレに入った。すぐにあの窓を見た。窓の中には、鳥の絵が描かれていた。私が描いた山並みの上に。小さな小さな〝V〟の字みたいな絵だったけど、それが鳥だということが私にはわかった。鳩だと思った。私はその横にもう一羽の鳩を描いた。窓には奥行きができていた。二羽の鳩は山を越えてその向こうに行こうとしているみたいだった。
同
私は保健室を避難所にしています。そのすぐそばにボックス一つだけの女子用トイレがある。わたしはある日、トイレの壁に四角い窓のようなものを描きました。「小さな四角は窓のつもりだった。その壁に、窓があってほしかったのだ」。どこにも逃げ場のない学校で、私は息をするための、ここから抜け出すための窓を無意識的に描いたのですね。
次に保健室に避難してトイレに入った私は、「びっくりした。私が描いた小さな四角の中に、小さな小さな木が一本、描き加えられたいたからだ。(中略)誰かが、この四角を窓だとわかってくれたのだ。私は嬉しくなって、四角の左上の隅に、小さな太陽を描いた」。私と同じように窓を、ここから抜け出すことを願っている人がいるということです。
誰が描いたのかは実際にお作品をお読みになってお楽しみください。ただ荒野先生のお作品でございます。簡単で便利な救いは設定されておりませんことよ。でも私が絶望のどん底に突き落とされることもござーません。私は本質的には強い。だけど読者に代わって、世界に代わって、人間の暗い側面を、残酷な側面を見つめて炙り出さなければならないのです。
荒野先生は残酷小説の名手でござーますけど、「窓」のような作品は楽しんで書いておられる気配がございますわね。それに枚数。多分20枚くらいの短編です。「窓」のような残酷小説の場合、20枚を超えたら読むのが辛いわね。枚数に合わせた残酷小説のプロットになっています。プロだわぁ。
わたしたちはうんと残酷な小説も楽しまなきゃならないのよ。楽しむというのは読書の楽しみね。残酷さ自体は心に残るわ。残酷であればあるほど、わたしたちの世の中はほんの少しだけ良い方向に進むような気もしますわね。
ヒロインたちはあきらかに愛や勇気じゃなくて、お金持ちの手助けによって道を開いている。直接的な融資を受ける場合と、形にはならない価値観のようなものをおすそわけわれる場合の二パターンがあるけれど、それがきっかけで人生が好転するのはみんな一緒だ。ネットをみても、そんな感想を持つのは、亜子くらいしかいないようだ。読者層のメインターゲットである子供たちはアンの想像力やセーラの強さに純粋に感動しているが、綺麗事ゼロなところが信用できるんだけどな、と亜子は思う。そのくせ、人間の真実を描いているはずの「沈黙」を読んだ時のような陰鬱な気持ちにはならない。何故だろうと考えたら、それは、女の子たちが無理して可愛くなったり、好かれようと努力したりしていないからだ。それなのに必ずお金持ち側が自主的にサポートを申し出る。そこにはどんなカラクリやコツがあるのだろう。亜子はもう一度、最初から読み直し、ヒロインたちの行動になにか真似できるところはないかと洗い出して、スマホのメモ機能にせっせと書き込んだ。作り話といってはそれまでだけど、百年くらい残っている名作なのだから、多少は真実も含まれているに違いない。
柚木麻子「あしみじおじさん」
柚木麻子先生の「あしみじおじさん」は高校を卒業したばかりの亜子という少女が主人公です。親友に美人の優乃がいて、彼女はプチ整形してさらにキレイになり、リッチな整形外科医の彼氏がいてクリニックで受付嬢をしています。整形してキレイになれば人生最高よ! と優乃に言われ、亜子はなけなしのバイト代をはたいて整形手術を受けることにします。
で、カウンセリングを受ける前に待合室で、亜子はなんとなく本を手に取って読み始めた。『世界名作全集あおぞら』で、『アルプスの少女ハイジ』や『小公女セーラ』など女の子が主人公の名作童話をダイジェストにした読みやすい本です。亜子は思わず読み耽ってしまい、あんな本、誰も読まないからと言った優乃から七冊入った『世界名作全集あおぞら』をもらいうけます。
学校でムリヤリ読まされた遠藤周作の『沈黙』は「人間の真実を描いている」かもしれないけど「陰鬱な気持ち」にさせられるだけでちっとも好きになれなかった亜子ですが、女の子たちの童話にはものすごく興味を持ちます。亜子は「ヒロインたちはあきらかに愛や勇気じゃなくて、お金持ちの手助けによって道を開いている。直接的な融資を受ける場合と、形にはならない価値観のようなものをおすそわけわれる場合の二パターンがあるけれど、それがきっかけで人生が好転するのはみんな一緒だ」と考えます。
名作童話の中でヒロインたちは金持ちの男の支援で明るい未来を切り拓きますが、それは整形とか見た目の美によってではない。だから自分は必ずしも整形する必要はないんじゃないかと亜子は考えるようになる。そして童話からノウハウを吸収して自分でも実践してみようと思うのです。このあたり、大衆小説の真髄っぽくていいですね。
この後の展開は実際にお作品を読んでお楽しみください。ただねー、「そんな感想を持つのは、亜子くらいしかいないようだ」とあるように、亜子のヒロインモノ名作童話の切り口(読み口)は面白くてツカミはOKなんですけど、その後の展開はちょっと平凡でしたわぁ。
つまりツカミのヒントでお作品を書き始めたんだけど、結末は考えていなかったって感じ。こういったお作品の場合、落とし所を決めてからツカミに遡らないと魅力的作品になりませんわね。ただツカミだけで書かれた小説が大衆小説には多いのも確かね。それも大衆小説を読む楽しみの一つですわ。
佐藤知恵子
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