第8回金魚屋新人賞受賞の松岡里奈さんの小説『スーパーヒーローズ』(第16回)をアップしましたぁ。
この近隣の治安は想像以上に悪かった。スーパーから買い物をして、家の扉の前にほんの数分放置していただけで全て盗られてなくなっていたこともあった。また、ギャングめいた風貌の不審者が家の庭に侵入する事件があった。ゲイブと二人で声を潜めて銃を握り、扉に向かって銃口を向けながら震えていた。結局何もすることはなくその男は庭から出て行ったが、恐怖を拭うことは出来なかった。
友人は皆口々に引越しするように勧めた。私はその度に今は難しい、落ち着いたら……といった誤魔化すしかなかった。ここから出ていくことは始めから選択肢にない。そうしたら、ジョニーにもう会うことが出来なくなってしまうからだ。
劣悪な環境。鏡の中のにきびだらけの自分の顔。死んだような目をした近隣の人々と話していると、上昇志向が根こそぎ奪われていく。この近隣での生活は惨めだった。しかし惨めであればあるほど心の中のあの男の子はより輝いていく。そして彼に会える水曜日、その週の全ての苦しみは報われるのだった。最後の審判でようやく天国にあげられる信心深い貧乏男のように。
松岡里奈『スーパーヒーローズ』
松岡さんは多分キリスト教徒ではないと思いますが、『スーパーヒーローズ』にはほぼ完璧に垂直の観念軸が立っていますねぇ。その消失点は救済、至高の美といったイデアなのですが、そこへの志向がドロドロとして混乱し、救いのない地上から放射状に為されているのがこの小説の醍醐味です。
絶望がなければ強い救済の力は働かないわけですが、その絶望というものがなかなか厄介。でも言語化できないのは絶望も救済(イデア)も同じであるわけで、何度でもそこに立ち返って物語を紡ぎ出すことができると思います。それがまあ私小説というものですね。
私小説は実体験を書く物だと思われがちで、それはある程度はそうなのですが、本質的には観念軸が私小説を成立させます。なによりも絶望が深いこと。それと同時に救済を願う志向が強いこと。その軸が立っていて、現世の肉付けの仕方をテクニカルに覚えれば、私小説は量産できるようになります。
■ 松岡里奈 連載小説『スーパーヒーローズ』(第16回)縦書版 ■
■ 松岡里奈 連載小説『スーパーヒーローズ』(第16回)横書版 ■
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