鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『田島隆夫の南画』(第68回)をアップしましたぁ。金魚屋から『夏目漱石論-現代文学の創出』を好評発売中の鶴山さんの骨董エッセイです。田島隆夫は機織(織司)を仕事にしていましたが、絵を描き短歌も詠みました。生涯に複数の仕事を手がけると〝専門家〟に単純化して捉えようという傾向がありますが、鶴山さんは田島隆夫の仕事を綜合的に捉えています。マルチジャンル作家らしい視点です。
道草ばかりくっていたから年とって來ていることさえ氣づかずおりし
この先は水のうえゆくほかになき處まで來て水をみており
いよいよになりたる時のことなどをおもい正月の餅切りている
身のまわり片付けてもう何時でもいい三角波が沖に出ている
にんげんのいのち思えば大き月地を離れんとしていたりけり
ひとのおわりはさまざまにしておほかたはついにはなにもあらざるごとし
息子らの頭のうえを通りすぎ名ばかりの父は先へゆくなり
鶴山さんは田島の短歌を引用しておられますが、非常にレベルが高いですね。「この先は水のうえゆくほかになき處まで來て水をみており」について鶴山さんは、「不可能を可能にしようとした田島の歌である。絶唱であって絶唱ではない。田島の仕事は誰かに引き継がれてゆくからだ。創作者として田島には学ぶべき点が多い。優れた作家は断崖絶壁まで来て、水の際までたどり着いて、なおその先に進みたいと願うものである」と書いておられます。共鳴するものがあるんでしょうね。
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