小説が映画やドラマになるときは、名前と顔が知られた芸能人を使うのが当たり前よね。誰を使うかによって興行収入や視聴率が変わってくるわけですから、キャスティング命ってところがあるわね。映像作品を作るのはお金がかかりますから、少しでも有名で演技が上手い俳優さんを集めたいのは当然でござーます。ただま、美形で演技が上手ければそれでいいのかというと、そーでもないところが映像作品の難しいところね。
アテクシ、CMの撮影なんかに立ち会ったことはございますが、もちろん芸能界とは無縁でございます。テレビなんかでドラマを見るだけなのですが、それでも映像作品って一筋縄ではいかないわねーと感じること、しばしばです。要は俳優さんが発する勢いみたいなものが、やはりダイレクトに画面から伝わっちゃうのよ。
売れっ子女優さんが「わたしは美人」と思っていなければ内面から迫力が生じないのは当たり前ですけど、男優さんはもっとそうね。近ごろは世界的に中性的な、女の子みたいにキレイな男優さんがもてはやされることが多いですが、それでも男優さんの一番の魅力はugryなところよね。「キレイはきたない」じゃないですけど、男優さんの場合は醜さがものすごい魅力になることがあるわけ。昔で言うとショーケンとかが典型的ね。今は長瀬智也さんとかがそういった雰囲気があるかしら。もち美形ではあるんですが、ときおり見える醜い表情とかにすんごい魅力があるわけ。
もっと難しいのは自意識過剰でしょってる部分は十分あっても、女優や男優さんが自分の魅力の本質にあまり気づいていないことがあるところでしょうね。特に若いうちはそうで、それがまたものすごい魅力になったりするわけです。いわゆる芸能人のオーラね。映画監督なんかが、素行的にあまり評判がよくない俳優さんを好んで使ったり、オーディションでずぶの素人を使ったりする理由がそこにござーます。努力して演技が上手いだけではダメといったところがスター俳優さんにはありますわ。
で、小説で芸能界を舞台にすることはありますけど、売れっ子芸能人を主人公にすることは多くありません。これはまあ当たり前で、芸能界はある意味「事実は小説より奇なり」を地で行っているような世界ですから、基本的には主人公の心理を書く小説には向かないのよね。芸能界を舞台にする場合でも、一歩引いた裏方の人が主人公になることがおおござーます。
平田は、死体を埋めるまでは情けない中年男でしかなかったのに、殺人という特異な経験をしたことで、まるで本来の姿を取り戻したかのように生気を漲らせ始める。(中略)
その境界となるのが、今から撮るシーン――死体が見えなくなった穴を、平らになるまで黙々と埋め続ける二人の構図だ。会話はなく、土が落ちる音と息遣いだけを拾う。(中略)
完璧な調和に、思わず力がこもる。いいぞ、このまま、あと少し――
その瞬間、突然耳元で何かを引き裂くような爆音が響いた。
反射的に身をすくめてイヤホンを外す。
ハッとして二人を見ると、小島がぎょっとした表情で背後を振り向いていた。その視線の先にあるのは――地面に転がった小さな青い鳥。
――鳥が落ちてきたのか。
状況を理解した途端、舌打ちが出そうになった。
――せっかく、イメージ通りの画が撮れていたのに。(中略)
大崎は深いため息をつき、カットをかけようと口を開く。
けれど、声を出そうとした寸前、淡々とシャベルを動かし続けている岸野の姿が目に飛び込んできた。
小島が、自らの反応を恥じるように顔を伏せ、そそくさと作業へ戻る。
――これは。
喉が小さく上下した。
これは、使えるのではないか。
芦沢央「お蔵入り」
芦沢央先生の「お蔵入り」は映画監督の大崎が主人公です。監督にもランクがあって大崎は売れっ子ではありません。苦労してスポンサーを集め俳優をキャスティングして映画撮影にこぎ着けました。映画は若い男に誘われるまま中年男が犯罪に手を染め、最初は及び腰だったのに殺人を犯したことで心の底に秘めていた狂気を暴走させるといったストーリーです。若い男をアイドルグループの小島(役名村山)が勤め、中年男を演技派のベテラン俳優岸野(役名平田)が演じます。観客動員のための華を小島が担い、作品の質を岸野が保証するという理想的なキャスティングです。
最初の殺人の後に二人で死体を埋める重要なシーンを撮っている時に、大きな音を立てて鳥が地面に落ちてくるというハプニングが起こります。若い小島はビックリしてシャベルを動かす手を止め、落ちてきた鳥の方を見てしまいます。大崎はカットをかけようとしますが岸野を見てやめます。岸野はハプニングにまったく動じず淡々とシャベルを動かしていたのでした。我に返った若い小島が作業に戻ったこともあって、大崎は「これは、使えるのではないか」と考えます。期せずして小島の未熟さと岸野の狂気が際立つ構図になったからです。ただもちろん「お蔵入り」は演技論の小説ではありません。現実世界で人間が犯す、ささやかと言えばささやかですが、結果として重大になってしまう踏み外しを描きます。
「だってさあ、どうせ俺、やめられねえもん」
岸野が、唇を歪めて煙草の火を揉み消した。(中略)
「ふざけるな!」
気づけば、大崎は岸野に飛びかかっていた。(中略)
胸ぐらをつかんで立ち上がらせ、全身を押しつけるようにしてベランダまで追いやっていく。(中略)
次に視界に入ったのは自分の両手――「え?」
小さな声が、どこか遠くで聞こえた。
岸野の姿が消え、下から、大きな――とてつもなく巨大な水風船が破裂したような音が響いてくる。
手すりの奥を見下ろすよりも早く何が起きたのかわかったのは、今回の映画の中でも人が落下するシーンを撮ったからだった。人体が地面に叩きつけられるときの音を調べ、サンプルとしていくつもの音を聴き比べた。その一つが、たしかこんな音だった。
手すりから見下ろした光景は、予想通りのものだった。――ここは、六階だ。地面に直接叩きつけられて、まず助かるわけがない。
同
映画のクランクアップ間際になって、本当の、現実世界でのハプニングが起こります。大崎はプロデューサーの森本からベテラン俳優の岸野がドラッグ常用者で、すでに警察に察知され逮捕間際だと知らされます。そうなれば映画はお蔵入りで、やっと撮影にこぎ着けた大崎の映画監督としてのキャリアも終わってしまう。
大崎は森本、それに岸野のマネージャーの福島と三人でホテルの岸野の部屋に行きます。大崎は岸野に詰め寄りますが、岸野は「だってさあ、どうせ俺、やめられねえもん」と諦めとも開き直りともつかない言葉を口にします。カッとなった大崎は岸野をベランダまで追い詰め突き落としてしまいます。意図的ではないので過失致死ですが、岸野がドラッグで逮捕されなくても映画が公開中止になるのは必定です。
ただ絶対秘密の話をするために両側の部屋を空室にしていたこともあって、転落事故が起きたことは大崎、森本、福島の三人しか知りません。三人は岸野が死んだので、警察は岸野がジャンキーだったと発表して死者の名誉を傷つけたりしないだろうと推測します。また目撃者がいないのだから、三人が口を噤めば映画は公開できるかもしれない。芸能関係者にとってスキャンダルは命取りであり、それと同じくらい莫大なお金をつぎ込んだ作品の公開中止は命取りです。三人は瞬時に転落事故を口外しないと決めます。岸野は逮捕間際だということに気づいていたので、自殺と処理される可能性も高いと考えたのでした。
他殺なのか自殺なのかの警察発表はありませんが、ベテラン俳優の岸野の死は大々的に報じられます。それによって大崎監督作品で遺作になった映画も話題になります。映画は撮っただけで終わりではありません。全国の映画館の何軒で公開されるかによって興行収入が違ってくるのです。岸野の死で映画を公開する映画館の数が飛躍的に増えます。皮肉なことに大ヒットの予感が漂い始めたのでした。
もちろん映画監督の大崎は、基本的には非常識な芸能人を操る側の普通の常識人です。大崎は「自分は、いつか罰を受けるのだろうし、そのときには、直後に自首をしていたよりひどいことが起こるだろう」と考えます。「お蔵入り」という小説が長編なら、事件後に大崎、森本、福島の三人が抱え込むことになった秘密が露見するまでの経緯を、それぞれの打算や恐怖の心理を詳細に描くことで明らかにしていくという展開はじゅうぶんあり得ます。しかし短編の場合はそんな悠長なことを言っていられません。そのため芦沢先生は三つ目のどんでん返しを用意しておられます。
森本から聞かされた話は、あまりにも荒唐無稽なものだった。
岸野が落下して死亡したちょうどその時間帯に、岸野の部屋から小島の声がするのを聞いた人がいるというのだ。(中略)
「あのとき、両側の部屋には〈Don’t disturb〉の札をかけておいたんだよな?」
『いや、だからそもそもがデマなんですって』
「従業員がどうしてそんなデマを」
わからないのは、そこだった。そんな嘘をついたところで、証言者には何のメリットもない。むしろ、これで小島が逮捕され、後に証言が嘘だとわかったりしたら、その人は虚偽罪に問われる可能性もあるのだ。無論、それだけでは済まないだろう。今の時代、偽証した当人を炙り出して顔写真や名前や住所をインターネット上に晒す人間だって出てきかねない。
同
自分の過失致死を悔い、発覚を怖れていた大崎は、プロデューサーの森本から奇妙な話を聞かされます。岸野が転落した時刻に、ホテルの従業員がアイドルで岸野の相方だった小島の声が部屋から聞こえたと証言したのです。大崎たちには当然それが偽証だとわかります。ではなぜ従業員――若い女の子です――はそんな偽証をしたのか。ここから新たな謎解きが始まります。普通の人である大崎の苦悩から、芸能人という人種が招きがちな他者(ファン)からの羨望、憎しみが生んだ偽証にフォーカスが移るわけです。
この謎解きの結末は実際にお作品を読んでお楽しみください。ただ短編小説でドラッグ中毒、転落死、偽証と三つの山場を用意なさった芦沢先生のストーリーテリング力はさすがです。純文学と同様、大衆小説でも主人公の心理描写で読ませる小説はたくさんございます。ただ大衆小説の醍醐味はやはり物語展開です。複数の事件が起こらなければ長編小説が持たないのは当然ですが、短編でも事件を次々に起こすことができるのが大衆作家の力量といったところがございます。簡単なようで難しいですわね。ただいとも簡単に審級を変えて決定的な事件を起こす力がなければ、大衆作家として長く仕事を続けてゆくのは難しいわよねぇ。
佐藤知恵子
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