コロナが長引いて大変でござーますわね。危機管理の鬼の知恵子様はもちろん手洗い等々欠かさずテレワークに励んでおりますことよ。でもamazonはもちろんNetflixの主立ったコンテンツも見ちゃったのよねー。それなりに忙しいわけですが、ホントに退屈というか刺激がないわ。ツイッターで「ザムザちゃんは朝起きたら虫になっていたけど、テレワークなので生活はあまり変わりませんでした」というつぶやきを読んで笑っちゃったけど、お出かけが減ると、やっぱり社会全体の活気が失われるわ。アテクシ、不景気っぽいのが何より嫌いなのよ。
コロナに関しては短期的な見方と長期的な見方で世の中の捉え方が変わってきますわ。製薬会社のデータには一定の信頼を置けますから、ワクチン接種が進めばコロナはかなり抑え込めますわね。ただし世界全体で接種が進まなければあそこでボン、ここでボンとクラスターが発生するわけですから、それには最低四、五年はかかるでしょうね。この四、五年を長いと見るか短いと見るかで人間の気分も世界経済の見通しも変わってきます。世の中の変化のスピードが速まっていますから、四、五年は長いという感覚を持つのは当然ですが、先が見え始めているとも言えますわね。
世界各国でマネーサプライがじゃんじゃか増えていますので、金融市場はコロナにもかかわらず好調でござーます。コロナが一段落すればさらに投資が行われるはずですから、だーんと株価なんかが下落することは、今のところちょっと考えにくいですわね。実体経済とかけ離れていると言えばそうなんですけど、今しばらくは市場で短期的に利確することは可能でしょうね。その意味でコロナは市場を下支えしているとも言えないことはないかな。補助金なんかも湯水のようにばらまかれていますし。
それにしても日本の製薬会社様は大きなビジネスチャンスを逃しましたわねぇ。データによるとロシアのスプートニクⅤはかなり有効なワクチンのようですが、伝統的な東西対立が普及を阻んでいますわ。ちょっとファイザー様一人勝ちの様相ですわね。世界市場があるわけですから当然ですねぇ。
日本は経済後進国になったという議論が盛り上がっていますが、世界市場を視野に入れていないことも影響しているかもしれませんわね。日本人の多くの方が金融市場でお金を儲けるということに対して抵抗感を抱いておられるようですわ。それはそれで美しいことなのですが、世界からは取り残されますわね。無形コンテンツと言いますか、パテントの使い方などにもそれは表れていますわ。もったいないわよねー。
日韓関係が悪くなって嫌韓をおおっぴらに言う人も増えていますが、アテクシ、Netflixで韓国ドラマを見まくりましたわよ。理由はお金がかかっていて面白いから。単純よね。韓国ドラマには世界市場という視点がござーますわ。世界に売れるコンテンツなわけ。実際日本でも売れていますわね。あれに慣れると日本のドラマは見ていられませんわ。脚本もセットもお金がかかっていなくてしょぼいの。世界市場ドラマは今まではアメリカ様の専売特許で、アクションモノなどでは一回放送分ごとに車数台が廃車になり、実写とCGをフル活用した爆破シーンなんかが一回はあるわけでしょう。ドラマ系のコンテンツは絵が重要ですから、お金をかけない、世界市場を意識しないコンテンツは苦しいわね。
じゃ小説の世界はどーなのかと言うと、まだ無風状態と言いますか、コンテンツを世界的に売ろうという動きはほぼ皆無ですわね。日本語を翻訳しなければならないという問題は別にたいしたことではないですわよ。ほかの国々だって母国語を外国語に翻訳するわけですから。むしろ日本は外国に比べると労賃が安くて翻訳代も安いですわ。
ただ村上春樹先生などを少数の例外として、世界市場といいますか、書き方からして世界市場を意識した作家は日本では稀ですわね。ただこれも、どこかの時点で風穴を開ける作家とか版元が現れるでしょうね。小説の世界、じり貧ですもの。数少ないベンチャー的な投機市場はそこにしかありませんわよね。またそういった世界市場が視野に入れば、従来的な小説の深みというか面白さも、さらに増すことになると思いますわ。
泰子には鷹揚というか、のほほんとしているところがあって、とりあえず両親よりもましな生活ができていることに自足し、夫のだらしなさには目をつぶった。(中略)
ある日、彼は隣県の小さな教材会社を買って社長の座に就いた。(中略)年間利益の安定した会社で、大成長もないかわり、不振もない。彼は得意のはったりで業界に顔を売り、懐の深い男を演じた。実際の懐は不如意であったが、広げた大風呂敷に人が寄ってくる。
「うちで働くか、退職金を奮発するぞ」
この外面のよさは大農家の坊ちゃんの性質らしく、困れば助けてくれる肉親の存在が後ろ盾であった。(中略)会社が潰れずにいるのは実家や実姉の援助のお陰であったが、対外的には遣り手の社長ということになっていた。内実を知らない世間は彼を過大評価し、業界団体の副会長に押し上げて、
「存分に腕を振るってください、期待してます」
と持ち上げた。
(乙川優三郎「蟹工船なんて知らない」)
乙川優三郎先生の小説は短編で、姉・泰子の弟の久之が主人公というか語り手です。泰子の夫の国枝がガンで亡くなったのですが、国枝は大農家のボンボンで会社社長とはいいながら遊び人で家庭を顧みず、多額の借金と愛人を残してあっさり亡くなってしまったのでした。泰子と弟で主人公の久之、それに泰子と国枝の息子の真司が執り行う葬儀の場面だけのワンシーン小説です。ほとんどが久之による語りで構成されています。
小説でフィクションですが、こういうシャチョーさん、いらっしゃるわよねぇと思わず笑ってしまいました。社長というと数字にもの凄くうるさい人を想像しがちですが、案外そうでもなかったりするのよね。意外にどんぶりのお方が多いですわ。なぜどんぶりでいいかと言いますと、感覚的に収支が合っているから。もち社長さんにもいろんなタイプの方がいらっしゃいますが、達観的に収支をつかんでいてごちゃごちゃ言わない社長さんの会社の方が上手くいっていることは多いですわね。
もちろん国枝は家族に迷惑をかけてあっさり死んでしまったわけですが、この方が生きている限りは会社はなんとか存続した雰囲気よね。またこういうわけのわからない男は一種独特の魅力があるのよ。だから妻の泰子は破綻が目に見えていてものほほんとしていられたわけですわ。
小説ではある意味光の部分である国枝にはスポットライトを当てず、影の部分でこれから事後処理に追われることになる泰子や久之、真司が中心ですが、これはどちらに転ばせることもできますわね。でもま、謎の光を放つ亡くなった国枝がいなければ小説としては成り立たないわけね。
棺に別れを惜しむときがきて、亡骸に花が添えられてゆく。真司が花を投げ入れ、泰子が花のかわりに一冊の本を棺の中に押し込むのを久之は見た。軽蔑する目と、恨みをこめたさよならを言う手であったが、周囲には離愁の光景に映ったかもしれない。
(同)
妻の泰子が夫の国枝の棺に入れたのが、小林多喜二の『蟹工船』の文庫本でした。生前、無頼な生活を送る夫に泰子は「小林多喜二でも読んでみたら」と言ったのでした。これもありそうですねぇ。多喜二『蟹工船』はピントが合っているようで合っていない。泰子という女性の性格までわかります。国枝は「誰だろうと時間の無駄だよ」と答えたわけですが、泰子は夫が亡くなってまでも『蟹工船』に執着したわけです。ピントの合わない夫婦だから長年それなりにうまくやっていけることもありますわね。無理にでも国枝に読ませたら「案外面白かった」と言いそうですわ。
このあっさりとして余韻の深い小説は純文学ですわね。多様な解釈ができるお作品ですもの。またここから長編小説を書いてゆくこともできます。さきほどの文学の世界市場とはかけ離れたお作品ですが、日本文学らしいわぁ。もう大衆文学と純文学という垣根はあまり意味がござーませんわね。
佐藤知恵子
■ 乙川優三郎さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■