最近は出張が少ないですけど、ヒコーキに乗ってる時間ってけっこう長いわよねぇ。日本は島国ですけど、ヒコーキに乗るとホントに島国ねって思ってしまいますわ。巨大な資本主義お友達国はアメリカやヨーロッパに多いわけですが、行くのは遠い、マジ遠いですわ。アジア圏の資本主義お友達国――準資本主義国もたくさんありますけどね――に行くのだって、たーいへんよ。
長いフライト時間だと、アテクシはやっぱり本を読んでることが多いのよ。習慣になっていると言えばそれまでですけど、映画を見るのもちょっとねぇ。昔は映画は始まっちゃうと、つまんなくても我慢して最後まで見たけど、オンデマンドだと途中で止めちゃうことも多いでしょ。たくさんある映画コンテンツの中で、面白そうで、かつ、今の気分に合った映画を探すのは面倒なのよ。ちょっとストレスね。それならいつでも栞挟んで読むの止められて、ぼーっとできる読書の方がいいの。フライトの時間って、基本的には寝てるかぼーっとしてるか、どっちかが正解なんですからね。
でもトランジット含めてフライト時間20時間とかで、行き帰り40時間もかかって昼間の時間が長いと、持ってく本を選ばなきゃ手もちブタさんになっちゃいますわ。アテクシ、『世界・ふしぎ発見』はほぼ毎回見てますけど、近場の国だと売り出し中の可愛子ちゃんがレポーターで、こりゃえっらい遠いぜって国は、ベテランの竹内海南江さんがレポーターのことが多いわね。竹内さんも長いフライトでは本をお読みになるようで、ドストエフスキーなどの長編小説を持っていくと何かのインタビューで話しておられましたわ。わかるわー。簡単に読み終わっちゃうと困るのよ。
アテクシそれなりに本は読んでますけど、マジかってくらい長い小説で、まだ手をつけてないお作品って多いのよ。トルストイ大先生の『戦争と平和』とか、ムージル大先生の『特性のない男』とか。日本の長編小説だと山岡荘八大先生の『徳川家康』全26巻とかもありますが、いくらアテクシが時代小説好きでもちょっとねぇ。変な言い方ですけど、アテクシ東照大権現様の生涯はだいたい知ってますから、ネタバレしてるのよ(爆)。
で、10年くらい前になるかしら、そー言えば森鷗外大先生の長編は読んでないわねと思って、ちくま文庫本の鷗外全集『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』を持ち歩いていたことがあるの。小説ではなくて史伝ね。これがまー退屈なの。小中高大学と学業成績優秀で通したアテクシでもページに涎垂らして何度も寝そうになったわ。しっかしですわ、眠くなるのはアテクシが悪いんじゃなかろか、なにせ鷗外先生は文豪って呼ばれているんですからと、気を取り直して読み通したのがアテクシの優等生たるゆえんよ。えっへん。
これは真面目なお話、2回読み直してハッと、やっぱ鷗外先生は文豪ですわねぇと思いましたことよ。史伝は伝記で基本的に史実しか書いてありませんから、小説のような面白味はございません。また鷗外先生が史伝で取り上げたのは歴史的人物ではなく、いわゆる群小儒者です。ずば抜けた功績を残した人ではなく、市井の人なんですね。史伝の主人公になる人物に関する予備知識がなく、また漢詩、漢文だらけの先生の史伝は最初はとっつきにくいですわ。でも慣れるとぜんぜん違う面が見えてくるのよ。
ほとんどが手紙や漢詩などの引用で、それを解説しながら淡々とある人物の事績を描いてゆく鷗外先生の史伝は、慣れてしまうとものすごくリアルなの。ある瞬間に渋江抽斎や伊沢蘭軒、北条霞亭らの箸の上げ下げの音まで聞こえてくるような感じになりますわ。これは不思議ね。あんなに無味乾燥な文章なのに。
アテクシ、鷗外史伝の面白さを知ってから、冨士川英郎先生の『菅茶山』や中村真一郎先生の『頼山陽とその時代』といった史伝も持ち歩いて読みましたわ。でもねぇ、鷗外先生の史伝ほど迫ってくるものがないの。基本的には同じような書き方をしているのに不思議ね。
『北条霞亭』だったかしら、鷗外先生がえんえんと頼山陽の死去の際の様子を検証している箇所がございます。頼山陽は門弟たちにとって神のような存在で、結核で亡くなったのですが眼鏡をかけ、机に向かって仕事している最中に息を引き取ったと門弟たちは伝えていたのです。
鷗外先生は頼山陽は本当に眼鏡をかけたまま亡くなったのかを、様々な人の証言を引用してしつこく検証しておられます。どうやら実際は、布団にふせっていて亡くなったようですが、執筆中に亡くなったという伝承にもそれなりに理由がある、といった解説だったと思います。
で、頼山陽死去の検証で鷗外先生が示しておられるのは事実の曖昧さよね。史伝は事実の積み上げですが、それでもわからないこと、はっきりしないことはたくさんあります。鷗外先生は史伝で口碑もたくさん取り上げておられますが、事実と異なる伝承であってもそれはそれで意味があるわけです。事実と伝承が複雑に絡み合ってある人物の事績を形作ってゆくのが普通です。
ほんとうにそうだったことが記録されている場合もありますけど、たいていの記録は記録者・伝承者の解釈が含まれているケースがほとんどです。ということは、事実には最初からある張力が働いている。記録自体が始めからある人物の方向性を示していることが多いわけです。これが鷗外先生の思想というものでしょうね。史実を積み上げながらそこはかとなくそれを統御する思想を感受しておられる。この思想がなければ史実・事実はバラバラになってしまうのですわ。
「もぐさー、もぐさー、正法もぐさ。大が七銭、中が五銭。ずんと小児と申すが四銭。お望みならば十丁や二十丁はただでもあぐる・・・・・・」
といい始めたから恵以は幾分あっけに取られた。
「成田屋っ」のかけ声で気づいて、
「あれが、九坊なのかい?」
と不審そうに尋ねたのは姑のお時だ。
ちょうど一年前に舅の重蔵が傘寿の祝いを済ませた直後に他界し、以来なぜか却って元気になったお時は孫の舞台を欠かさず見ているのに、それでもすぐには気づかなかったほどの意外な登場である。
お灸に使う艾の売り子は町で近頃よく見かけるが、まさか團十郎がそれを舞台で真似るとは思わなかった見物人の多くも驚いた様子で、舅があと少し長生きしてこれを見たらどういうのか聞いてみたいくらいだ。
真っ赤に塗られた金平人形が突如かぶき芝居に飛び出して来たような亡夫(初代團十郎)の初舞台とはまるで違うが、また何か新しい変わった芸を見せられたという気がしたのは確かだった。
(松井今朝子「江戸の夢びらき」)
今号で、毎号楽しく読ませていただいた松井今朝子先生の「江戸の夢びらき」が連載完結になりました。初代市川團十郎の伝記的小説です。が、團十郎は舞台上で生島半六に刺殺されてしまったので、最終回は二代團十郎のお話になります。初代は成田屋の基礎を築いた偉大な役者ですが、市川家の芸を盤石なものとしたのは二代です。この親子二代の稀代の役者を見守るのが初代の妻の恵以で、彼女が小説の主人公です。
松井先生が『吉原手引草』で直木賞を受賞なさった際に、選考委員の林真理子先生と対談なさった記事を読んだことがございます。『吉原手引草』は有吉佐和子の『悪女について』の江戸吉原版といった感じの小説ですが、とても完成度の高い小説でございました。完成度が高すぎるといった感じまでしましたわね。
林真理子先生は時代小説もお書きになりますが、これはもう誰が見たってなんちゃって時代小説で、時代背景も舞台設定もなっちゃいません。ただそれを十分わかった上で時代小説をお書きになるのが林先生の偉いところというか、怖いところでございまして、松井先生との対談でも真理子先生は終始「わたしなんかが」といった感じで恐縮しておられました。でもこれも林先生の一種の芸風ですわね。
林先生が対談でやんわりおっしゃっていたのは、史実や学問と小説は違うということでした。そんな危惧を抱かせるほと、松井先生のいわゆる学術的な知識は豊富なんですね。学者の先生が小説家に転身なさったという雰囲気がございますわ。
それにしても生島新五郎が大奥の女中との不義を疑われたという話にはぎょっとした。新五郎の弟の大吉が尾州候の奥女中と馴染んで屋敷に忍び込んで捕らえられた一件を想い出したからだ。兄弟でも二人の気性はおよそ異なり、不義をあれほど嫌っていた亡夫が新五郎には結構な信頼を寄せていた。「弟のほうはともかく、兄貴はああ見えて俺と一緒で随分と堅いとこがあるんだよ。前の女房とは子ができなくて別れたそうだが、今の女房とはこないだ子ができたばっかりで、めっぽう大切にしてやがるぜ」と話していたのも想い出す。
一つひっかかるのは今度の件がまたも尾州候のお屋敷の縁にからんで起きたということである。弟の不祥事は兄にも同様の疑いを濃くする一方で、尾張徳川家の評判を落とすことにもなっていた。
(同)
よく知られているように正徳四年(一七四一年)に江島生島事件が起きて、江戸の歌舞伎界はてんやわんやの大騒動になりました。大奥御年寄の江島が歌舞伎役者・生島新五郎との密通を疑われた事件ですが、騒動の実態ははっきりしません。徳川家の政争と大奥、それに歌舞伎界の風紀粛正が複雑に絡み合った事件のようです。小説の主人公・恵以が言っているように、どうもスッキリしない「ひっかかる」点の多い事件です。
ただ「江戸の夢びらき」ではサラリとこの事件は顛末が書かれているだけで、突っ込んだお話はありません。それがちょっと物足りないところではありますわね。お作品は初代團十郎と二代團十郎の事績をたどる小説でそれは十分楽しめるのですが、小説という制約のせいでしょうか、枝葉をバッサリ切り落としているような印象もございます。
鷗外先生の史伝は枝葉だらけですわ。主人公はいるのですが、もうホントに四方八方にお話が逸れてゆくリゾーム的なテキストです。松井先生は直木賞作家様ですが、小説家としては貴種でございます。失礼ですが、フィクションを作り上げるよりも、史実に基づいたお作品の方がお得意のように思われます。従来的な小説の枠組みにとらわれず、もっと自由自在なお作品を読みたい気がちょっとしますわね。
佐藤知恵子
■ 松井今朝子さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■