小原眞紀子さんの連載エセー『詩人のための投資術』『第二十五回 オンラインカジノI――天使も恋する』をアップしましたぁ。金魚屋から『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』を好評発売中の小原さんの経済エッセイです。今回から「オンラインカジノ」篇です。投資とギャンブルの考察といったところでしょうか。
論理としてはその通りなので、あとはそれを揺るがす要素を出来るだけ排除するように、手法を確立するのだろう。メンタルによって手法が守られないことはよくあるし、資金も常に同じだけ投ずるわけではない。また論理的には永遠に玉を増やしたり、保持したりすれば勝てるとしても、証拠金不足や期限切れで強制決済させられることもある。一番単純なロジックに従い、あとは資金管理だけを綿密にする、という手法があるが、理にかなっていると思う。問題はその退屈さに耐えられるか、というところにあるが。すなわち上達したい、天にも届きたいという〝よきもの〟としての向上心が、必勝のロジックを崩壊させる。
その向上心は、天に近づこうとするあらぬ欲望と言い換えることもできて、投資に入り込んだギャンブルだ、と非難されるかもしれない。しかし人はそれなしに生きていけるだろうか。ようはその揺らぎを、破滅に結びつかないようにコントロールできるか、ということにかかっている。すなわちギャンブル性を完全に排除したり、否定したりするのでなく、その存在を前提として折り合っていくこと、それこそがトレード技術だといえるだろう。
(小原眞紀子連載エセー『詩人のための投資術』)
こういったところが小原さんの経済エッセイが文学エッセイでもあるところですね。文学で身を滅ぼす人はいくらでもいます。当たり前のことですが、冷静に見回せば文学者として社会に名前が知られ、なおかつ経済的にも一定の成功を収めた人は文学青年・少女の一万人に一人くらいです。勝率は恐ろしく低いということになります。
ただ勝ち続けている人はほとんどいません。必ず負けるというか挫折する。ただそもそも文学者として身を立てるということが、やむにやまれぬ「天に近づこうとするあらぬ欲望」だということができます。それが強ければ負けても挫折しても考える。自らの欲望も含めた勝算を冷静に分析して考えるようになります。
文学者は文学は高尚なものであり世俗的煩悩とは別種のものと考えがちです。達観思想に傾きがちです。しかし文学者になりたいという欲望もまた煩悩であり、煩悩を真正面から見つめてそれを突き抜けるような進み方をしないと煩悩は相対化できません。文学者はお金に復讐されがちです。それもまたどこかでしっかりと意識しておくべきでしょうね。
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