小原眞紀子さんの連作詩篇『Currency』『香』(第26回)をアップしましたぁ。金魚屋から『文学とセクシュアリティ-現代に読む『源氏物語』』を好評発売中の小原さんの連作詩篇です。今回は『香』です。
香は漂うものでなく
残るものでもない
空気に滲むものでもなければ
雰囲気と化すものでもない
世界を創り出した
その初日に
わたくしは物を立てた
物とは何か、と問われれば
すべてと答える
葉書であり
ドアであり
猫であり
横たわるすべては
立てるべきである
そして影との境が
香り立つ
存在の蝶番として
世界の中心と響き合う
軋み合う
そのたびに香る
(小原眞紀子『香』)
存在は香るというのは、小原さんの基本的な考え方でしょうね。もちろんリアルな匂いといふのとはちょっと違います。人間の〝香気〟でしょうね。人品は匂うわけです。『文学とセクシュアリティ』で小原さんは、
ですから香が貴族の生活を豊かに彩るようになっても、本来は仏教的であったことは忘れられはしなかった。宗教的なものとしてあり得るからこそ人を深く癒し、慰めることもできる。それゆえに薫物は祝いの品のうちでも格の高いものとなりました。どれほど豪華な綾、錦も所詮、庶民が日常で使う布の高級バージョンに過ぎません。しかし香は衣食住に欠かせない実用品ではなく、したがって庶民には縁のない、より観念的なものです。すなわち重要なのは薫物という物体ではなく、それが生み出す香の空間=極楽浄土のメタファーという抽象的なもの、観念そのものです。つまり薫物とは、貴族の優雅なお道具の中でも「メタお道具」です。メタレベルで指し示される観念とは当然、仏教的な価値観に基づいた美意識です。
(小原眞紀子『文学とセクシュアリティ』「第23回 香る『梅枝(うめがえ)』」)
と書いておられます。これは文学全般に言えることでしょうね。文学とは商品ではなく、本質的に「観念そのもの」だからです。
たとえば雑誌でもネットでもいいのですが、あるコンテンツをパッと目にした時に、目が止まってなぜか読み出してしまうことがあります。ほかのコンテンツではそれが起こらなかったとすれば、それは作品が香ったからです。そういうことはしばしばあります。文学だけでなく、人間と対峙した時にも起こり得ます。
■ 小原眞紀子 連作詩篇『Currency』『香』(第26回)縦書版 ■
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