世界は変わりつつある。最初の変化はどこに現れるのか。社会か、経済か。しかし詩の想念こそがそれをいち早く捉え得る。直観によって。今、出現しているものはわずかだが、見紛うことはない。Currency。時の流れがかたちづくる、自然そのものに似た想念の流れ。抽象であり具象であるもの。詩でしか捉え得ない流れをもって、世界の見方を創出する。小原眞紀子の新・連作詩篇。
by 小原眞紀子
香
多くの人々は勘違いしている
香は漂うものでなく
残るものでもない
空気に滲むものでもなければ
雰囲気と化すものでもない
世界を創り出した
その初日に
わたくしは物を立てた
物とは何か、と問われれば
すべてと答える
葉書であり
ドアであり
猫であり
横たわるすべては
立てるべきである
そして影との境が
香り立つ
存在の蝶番として
世界の中心と響き合う
軋み合う
そのたびに香る
われわれは振り向き
考えはじめる
何かを
思い出すから
われわれは予め
立っているものとして
立っているつもりで
蝶番を内包する
中心と呼んだり
芯を嗅いだり
すると香が立つ
ほぐれるように
ほつれるように
ほころびる
ひろがるのは
花びらである
ちぢまるのも
花びらである
花といえば
薔薇である
花弁は世界を構成する
すべては花びらにすぎず
いずれ散るのだが
咲くときは立つ
香を内包し
そのために
それゆえに
存在する
われわれの手足のように
われわれの(中心)が
香り立つ
そして初めて
世界に立つ
都市が立つように
月日が経つように
花弁がひらく
世界の構造は
薔薇である
われわれの香は
薔薇の芯にある
他の花は袋状の性器にすぎず
その香は虫のみを寄せる
われわれは考える
世界のリズムを
その呼吸を
われわれの精神と
(肉体と)して
われわれの日々と
(夜空の月と)して
鉛筆を握って
描きはじめる
ひろがってはちぢまる
輪郭を
その端から
透きとおる紅に染まって
曲線がねじれる
その端から
鈍くかがやく黄に変じて
ペンキの缶を持った
兵隊たちが敬礼する
間に合わない
薔薇の色を
塗り替えるには
いつも間に合わない
お茶は三時と決まっているのに
呼ばわる声を待たず
女王はやってくる
この上なく立体的であり
この上なくボリュームのある
さらなる誉め歌を
この上ない花弁のまくれ方
この上ない香気に、と
言いさしたところで
腰掛けた女王の
重みで椅子はつぶれ
テーブルクロスは引き込まれ
地の果てにめり込んで
裏返しに世界は咲く
* 連作詩篇『Currency』は毎月09日に更新されます。
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