新年号ですが、どーもパッとしないわね。特別感がないのよ。まーアテクシくらいの年になると新年といってもルーティーンで、そうそう目新しいことをするわけじゃないですが、それでもちょっとだけ贅沢したりするわ。でもパッと思いついて新しいことをするのって、小説の世界じゃよくあることだけど、現実には前もって用意しとかなきゃダメよ。その前もって用意というのが新年号から感じられないのよねぇ。
オール様はだいぶ前から時代小説に力を入れておられますわ。そのほとんどが連作よ。作家様が過去のある時代に取材して小さな共同体の世界観を作り上げて、その中で活躍する主人公を描いてゆくわけ。全部が全部成功するわけではないですが、読者が付くと引っ張るわね。かなりの本数、引っ張ります。それだけ読者が付く小説が少なくなってるってことだと思いますわ。マンガの世界と同じね。手塚治虫先生から一九八〇年代くらいまでは、漫画家は次々新しいキャラクーを生み出して作品をお書きになっていましたわ。でも今は一本当たるととことん引っ張る。一人の漫画家につき一つの代表作といった時代になりつつあるわ。当たりが出る確率がそれだけ低くなっているのよ。
アテクシは小説で一番贅沢な作品は、魅力的な主人公を殺すことと、優れた短編小説を量産することだと思っております。読者は魅力的登場人物に感情移入しますから、大衆小説ではなおさらのこと、同じ主人公による連作短編になりがちよね。でもそれをスパッと殺してしまえばぜんぜん違う展開になる。新しい作品を書くか、物語を大きく変えるしかなくなります。
短編小説で優れた作品というのは、魅力的主人公を殺すのに近いわね。毎回違う場面(時代)と主人公を設定して短編小説を書くのは作家様にはかなりの負担です。それを5本、10本と書いてゆくためには、テーマがしっかりしていて、その上作家様が広い現実世界を見渡せる能力を持っている必要がありますわ。小説雑誌の特別感って、短編じゃなくても読み切りで、かつ編集部がこれは優れていると太鼓判押した小説を掲載するってことじゃないかしら。ルーティーンの延長線上の新年号だと、「年の内に春はきにけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはん」って感じになっちゃうわよ。
その違和感が決定的になったのは、数日後のことだった。その日、はるかはスカートを穿いていた。(中略)それまでずっとデニムかパンツ姿だったせいだろう、伊丹さんが「おっ」と声を上げたのだった。
「今夜はデートかな」
「いやいや」
とはるかは苦笑した。実際のところ、そういう相手は現時点ではいなかった。
「セクハラだぞ、そういう科白は」
荒井部長が冗談めかして注意した。そうよ、そうよと片平さんが言い、今はきびしいなあと宇野さんが言った。(中略)
メモが届いたのはその十数分後だった。はるかがコピーを取っていると、園田さんが通りすがりに押しつけてきた。「セクハラされてヘラヘラしないで」と書いてあった。
(井上荒野「園田さんのメモ」)
井上荒野先生の「園田さんのメモ」は20枚弱のお作品です。短編ですが傑作でございますわ。まあ傑作ってなかなか読めないから出会うとドキドキしちゃうんですけど、こういうお作品が二ヶ月、三ヶ月おきにでも雑誌に掲載されると素敵ね。新年号ではずば抜けて優れたお作品よ。
主人公は大学は卒業したけど、学生時代からのミュージシャンの夢を追いかけ続けているはるかという女性です。女性というより女の子と言った方がいいわね。お父さんはラノベ作家でお母さんはイラストレーターですから娘の夢には理解があります。しかし子供を心配する親には違いないので、音楽活動を続けていいかわりに父親のコネで、ある大手出版社の文学全集編集部で週5でアルバイトすることを命じます。そこはかとなく娘の将来に選択肢を提示しているわけですね。で、両親の命令に素直に従っちゃうところがお嬢様の人物造形ですわ。
編集部は五人で男性三人に女性二人。はるかは特に文学に興味があるわけではないですが、彼女でも務まる事務仕事が中心です。アルバイト開始早々、はるかの心にちょっとした棘が刺さります。園田さんという女性がはるかのデスクに無言で付箋を置いていったのです。開くと「ストッキング」と書いてあった。はるかのストッキングが伝線していたのです。事件とまでは言えないけど棘のように引っかかります。でもたまたまではない。
飲み会ではるかがなんとなく男性社員にお酌をすると、その後に園田さんが「お酌は不要」というメモをはるかの手に握らせます。男性社員にスカート姿をからかわれた後には「セクハラされてヘラヘラしないで」という、ちょっとキツイ感じのメモが渡される。はるかは戸惑います。バンド仲間に園田さんの奇妙な行動を話すと、みな口をそろえて嫌な女だ、「気に入らないことがあるなら口で言ってくださいって、みんなの前で言ってやればいい」と言います。その通りだと思いますが、はるかは何か腑に落ちません。メモの話をしようとすると、園田さんはつっと話題を変えてしまう。
「園田さん、どんなふうでしたか」(中略)
「ちょうど抗がん剤の点滴中で、別室にいたから長い間待たされて、少ししか会えなかったんだ。君との約束もあったし。彼女はニコニコしてたよ。みんなに迷惑かけてごめんなさいとか、よろしくとか、仕事のことは気にしないで治療に専念してくれとか、当たり障りのない会話しかなかった」
「園田さんはまだ伊丹さんのことが好きなんじゃないのかな」(中略)
「いや、それはないだろう、繰り返すけど、彼女の方から離れていったんだから。万一、そうだとしても、俺のほうにはもう恋愛感情はない。これは申し訳ないけどはっきりしてる。はるかちゃんに出会ってしまったからだよ」
伊丹さんが再び手に触れようとしていることがわかったので、はるかはそうされないように顎の下で指を組んだ。ほとんどずっとその姿勢のまま、社会人の礼儀として、このデートが終わって伊丹さんから離れられるときをがまんづよく待っていた。
(同)
はるかがメモについて問いただそうと決心した矢先、園田さんが欠勤します。園田さんは去年ガンの手術をしていて、それが再発してしまったのです。はるかはまた、編集部の伊丹という男と一度デートしていました。伊丹は慣れない仕事に手間取るはるかを手伝ってくれ、その流れでラインを交換したりしているうちに、食事でもという流れになったのでした。
37歳の伊丹は、はるかには大人に見えます。「こんなに大人のちゃんとした人が、自分を好きになってくれた――この食事のときにはそれがはっきりとわかった――という事実に、気持ちがふわふわした」とあります。オバサンなら「そのスマートな誘い方、遊び人よっ!」となってしまいますが、はるかはまだマガモの雛みたいな女の子です。また園田という謎めいている――ということは複雑な人格を持つ登場人物とはまったく違う素直な女の子をいとも簡単に設定できてしまうのが、井上先生のスゴイところですわ。でも雛はすぐに大人になります。きっかけはいつだって男よ。
二度目のデートではるかは伊丹から、園田と付き合っていたと聞かされます。病院に見舞いに行ったことも。伊丹は「俺が捨てたとか、そういうんじゃないよ。(中略)俺はなんとか支えようとして努力したんだけど、どうにもならなかった。まあ支えきれなかったんだな。こんな言い方、ずるいけど、別れを切り出したのは彼女のほうだ。俺はそれを受け入れたってことなんだ」「俺のほうにはもう恋愛感情はない。これは申し訳ないけどはっきりしてる。はるかちゃんに出会ってしまったからだよ」と言い、初めてはるかの手に自分の手を重ねます。
はるかは手をひっこめます。もう二度と伊丹に手を触れさせないと思う。彼女自身説明はできないでしょうが、伊丹という男を一瞬で見切ったわけです。伊丹も即座にそれを理解します。「翌日からすうっと離れていった。感じが悪くなるわけでもなく、逆にへんに気を遣われるわけでもなく、それはもう見事に何気ない離れかただった」とあります。遊び人決定ですがそれは重要ではありません。またはるかは「園田さんはまだ伊丹さんのことが好きなんじゃないのかな」と言いましたが、それも正確ではない。重要ではない。
「帰るときに、椅子をたたんで元の場所に戻しておいてね」と言った。つまりもう帰れということのようだった。
それで、はるかは椅子をたたんだが、平たくなったそれを手で支えたまま突っ立っていた。何か言いたい。でも何を言えばいいのかわからなかった。元気になること、祈ってます? 違う。伊丹さんとは付き合っていません? 違う。メモをありがとうございました? 違う。
すると園田さんがひゅうっと植物のつるみたいに、はるかに向かって腕を伸ばした。その腕の先にあったのはメモだった。
「開いてみて」
と園田さんは言った。動揺しながら、はるかはそうした。メモにはいつもの走り書きで「もう来ないで」と書かれていた。きっとさっき、はるかがゼリーを冷蔵庫に入れているときに書いたのだろう。
「そのメモ、伊丹さんに渡してくれる?」
はるかは目を丸くしたまま、頷いた。さよなら、と園田さんは微笑んだ。
(同)
はるかはゼリーの手土産を持って園田の見舞いに行きます。嬉しそうではないですが、園田は快活にはるかを迎えてくれます。ゼリーは園田も好きな店のものだったので、その話題で話がちょっと盛り上がったりもします。でもはるかは園田から「帰るときに、椅子をたたんで元の場所に戻しておいてね」と言われてしまう。「もう帰れと」やんわり促される。でもはるかは何も話していない。園田が何を考えているのかまったくわからない。
立ち尽くすはるかに園田がメモを渡します。「もう来ないで」と書かれていました。鳥肌が立つようなラストシーンですわね。園田は「そのメモ、伊丹さんに渡してくれる?」と言いますが、ダブルミーニングであることは明らかです。はるかに対しても、もう来ないでと言っている。では元恋人の伊丹の通り一辺倒の同情がうっとうしいからでしょうか。若くて世間知らずのはるかが面倒くさいからでしょうか。恐らくそうではない。園田は世界を拒絶しているのです。
この拒絶はガンの再発によるものだとは言えません。元々園田の中にあった。園田はガンになり、それによって慌てふためく恋人の伊丹を見て、伊丹を見切った。しかしそれ以前から伊丹という男を見切っていたはずです。このくらいの男でいいかと思っていたのが、ガンになって伊丹に失望し、絶望してハッキリ見切り別れる決心がついたのでしょうね。ただかつて愛した伊丹という男の底の底まで見てやりたいという気持ちはある。
小説を読み返せば、園田がはるかにメモを渡すのは、最初のストッキングを別として伊丹絡みです。はるかがお酌をしたのは伊丹の盃ですし、はるかのスカート姿を見て「今夜はデートかな」とからかったのも伊丹です。でも嫉妬から園田がはるかにメモを渡したとは言えないでしょうね。伊丹を観察しているとはるかが目に入ってきた。ぴよぴよして、優しくしてくれる男にすぐに付いていきそうなはるかを見ていられなかったのでしょうね。だからはるかに特別な感情はない。見ちゃいられない、それだけです。素っ気ないメモになる。
ただ園田の世界の拒絶は、それが強烈できっぱりしていればしているほど、彼女が拒絶しがたい何かを求めている女性だということを示唆しています。絶望しながら強い希求がある。しかしその希求は現世では恐らくかなえられない。
小説では書かれていませんが、はるかはずっと園田のことを気にかけながら仕事をするでしょうね。もしかすると園田の死去の報せを聞くことになるのかもしれません。でもその間に彼女は大人になる。小説は20枚もあれば傑作を書けますわ。「園田さんのメモ」、傑作です。
佐藤知恵子
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