最近になってようやくオフィスの封鎖令が解かれて、アテクシも久しぶりに出勤することになりましたの。でもテレワークは快適だったわぁ。AmazonとかHuluのドラマ片っ端から見たわよ。もち仕事はしてましたよぉ。でも好きな時にお洗濯やお掃除できて、昼寝もできたわ。テレワーク最高っ! Yazawa最高っ! って叫びたくなりましたわよ。Yazawaって、もちろんE.のお方よ。年齢がバレますわね。
でもオフィスに復帰したはいいけど、どの国も入国検査が厳しくなっているので会議はほとんどZoomかTeamsよね。慣れればヒコーキに乗ってわざわざ顔合わせて会議することないかってなりますから、これはこれでよろしゅうござんす。でも市場は安定してますけど、オフショアで政情不安定になったりしてるでしょう。細かい打ち合わせが必要なお仕事は、国内に外注したりしてますわ。そんでオフショアはオフショアで面倒くさいトラブルが山ほど起きますが、国内は国内で面倒くさいのよねぇ。
アテクシが直接担当じゃなくて、部下に任せている仕事なんですが、ベンダーの社長Aさんから責任者ということでアテクシに電話がかかってきましたの。
「Bさんに昨日資料をお送りしてお電話も差し上げたんですが、まだご連絡がないんですが」
「ああそれは失礼しました。伝えておきます」
といった感じで電話を切ったんですが、なんか引っかかったのよねぇ。会社に戻ってきた小僧を呼んで「君、Aさんから連絡ないって電話あったわよ。ちゃんと連絡しなさい」って注意したわけ。
「は? はい、わかりました」
新人のくせに高給取りの小僧さんは素直でしつけがいいわねぇ、と爽やかなお返事に感動したのですが、それが序章だったのよ。
聞くともなく聞いていると、小僧が「は? まだ見てませんよ。そんな急ぐ話じゃないでしょ。おっしゃってることがぜんぜんわかんないんですが」と電話でキレかかってるわけ。あ~またAさんだなと思って小僧に事情聴取したのですわ。
「そこな小僧、だいぶ難儀しておるようぢゃな」
「へぇ、お代官様、あっしもさすがにまいっておりやして」
とは言いませんでしたが、要は連絡が遅い、返事が的確じゃないというAさんの苦情に辟易してるわけ。アテクシの会社がクライアントでAさんの会社はベンダーですが、Aさんは小僧よりうんと年上で、クライアントとベンダーはパートナーでイコールという建前ですから、ここはあまり事を荒立てたくない。それで来社したAさんを一番小さい会議室に呼んで話を聞いたわけよ。
「我が社では・・・」
それがAさんの枕詞で、こういう言葉を聞くとアテクシは脊椎反応でプチッとキレるのよね。でもキレると猫なで声になって、さらに情報を引き出そうとするところがお局様のホントに怖いところなのよぉー。
レジュメしますと、Aさんの仕事の段取りは、すべて彼の会社の不文律的な決まり事。もっと事情聴取すると、Aさんが以前勤めていた大会社でのしきたりだということが判明しましたの。だんだん調子に乗ってきて、「いやお局様、仕事のデキルヤツは返事も早いですからな。X社ではメール受けたらどんなに忙しくても30分で返信するんですよ。それがデキル社員ってものでしょう、わたしは部下300人を束ねてましたからな、ガハハ」と笑うAさんを見て、コイツ、東京湾に沈めたろかとにこやかに笑いながら思いましたわよ。
「そういうことでしたら、今回は当社がクライアントですから、最初に当社のやり方を先にご説明すべきでしたわね」
「ああそれはありがたい、ぜひ」
「当社のBが仕事の責任者ですから、彼の指示に従ってください。彼の指示が絶対です。Bから返事がないならそれが指示です。わたくしどものルールに従っていただければ仕事は円滑に進みますわ。次のお仕事もござーますしね。ではごきげんようさよぉならぁ~」
外資には、お前の舌はハムスターの回転遊具かってくらい、巻き舌巻きまくって発音しなきゃ気が済まない頭の中にアメリカ飼ってる変な社員とかがたくさんいますけど、ドメスティックな日本の企業には、言っちゃ悪いですけど社畜という言葉を思い浮かべてしまうようなお方がいらっしゃいますわね。そんなお方に出会うとむかっ腹が立つんですが、悲しくもなりますわ。
日本の社会は男社会で、女はなにかっていうと我慢を強いられることがおおござんす。でも男の抑圧もすんごい強烈なのよねぇ。会社のルールに滅私奉公してそれなりに出世しても、戦い敗れれば子会社に飛ばされるわけでしょ。だけど忠誠心は残っていて世界が会社のルールになってしまっているのですわ。どこまで本気なのよと疑ってしまいますが、他社の若い社員も自分の会社のルールで教育しようとするお方は、それ自体が鬱屈した抑圧のはけ口に見えますわ。馬鹿馬鹿しいと笑うのは簡単ですが、男も女も違う形で社会の抑圧を受け入れているのよ。完全な自由なんて世の中にはないっていうことですわ。
お彩がなにげなく、色つきの金平糖はできないのかと呟いてから四月。その間一人の職人が、店に出す品の製造を止めてまで、試行錯誤に励んでいたのだ。手間賃や店の損害もろもろを考えると、この金平糖は目玉が飛び出るような値になるという。(中略)
それを金平糖屋に伝えたのは右近のくせに、自分のことはすっかり棚に上げている。のみならず、「俺も食っちまった、どうしよう」と青ざめている香乃屋の主人の肩に手を置いた。
「お彩はんが仕事を受けてくれへんのなら、しょうがない。ご主人に払うてもらいまひょ」
手土産の菓子を食べたところで、強請られるいわれはない。だが主人はすっかり縮こまって震えている。
「卑怯者!」
お彩は右近をキッと睨みつけ、声を大にして叫んだ。
(坂井希久子「色も香も」)
坂井希久子先生の「色も香も」は「江戸彩り草紙」連作の一つですわ。主人公は貧乏長屋住みのお彩で、お針子仕事をしながら病身で元浮世絵摺師の父親の面倒を見ています。二十代半ばですから当時としては中年増ですね。だけど平均寿命が短かっただけで、そのくらいの年の女性が美しかったのは江戸時代も変わりません。
お彩にちょっかいを出してくるのは上方言葉を操り、いつも羽振り良さそうな右近という男です。この男、めっぽう顔が広いのですが、なぜそんなに羽振りがいいのか、顔が広いのかという理由をお彩は知りません。お彩に好意をもっているふうなのですが、それが毎回面倒な仕事の依頼になって表れます。
今回は色つきの金平糖をダシにお彩に仕事を依頼します。色つき金平糖は、お彩がふと口にしたアイディアでそれを右近が金平糖屋に伝えて実現したのですが、お土産だと言ってお彩たちに食べさせておいて、依頼を受けないなら代金を払ってもらわなきゃと右近は言います。まあお彩と右近のいつもの掛け合いです。
「卑怯者!」と言葉では罵りながら、結局は右近の依頼を受けてしまうお彩という女性、アテクシ好きですわ。お彩の人物造形には江戸封建社会の抑圧された女性の雰囲気がよく出ています。ときおり、特に右近に対してはその強い自我意識が出てしまうのですが、たいていはじっと我慢の女性です。ただ「卑怯者!」以上に言葉を重ねていったら現代の女性と変わらなくなってしまう。それでは時代小説になりませんわよね。
で、右近がお彩に依頼したのは小間物問屋の娘の見合い用着物の見立てです。大店の紙問屋の息子が芝居小屋でそれとなく見合いするのですが、遠目からでも引き立つような着物をという母親の依頼です。またライバルの娘たちもたくさんいます。お彩は今でいうファッションセンスが優れた女性なので、右近は着物の見立てにうってつけと考えたのでした。
お彩はお蔦に向き直り、越前屋の若旦那が芝居好きらしく梅幸茶を着ていたこと、ならばこちらも市松にちなんだ装いにしてはどうかということを、説いて聞かせる。気が昂っているために、少しばかり早口になってしまった。
「錦絵によれば、桜鼠の着物に、雲取り模様の錆鉄御納戸の帯となっています。お蔦さんにはよく似合うと思いますよ」(中略)
しばらくしてお内儀は、着物を包む畳紙を手に戻ってきた。中身は桜鼠の色無垢である。お蔦を促し立ち上がらせると、その肩にふわりと羽織らせた。(中略)
「おおっ!」
感嘆の声を上げたのは番頭である。不用意に洩れてしまったらしく、気まずそうに鷲鼻をこすり渋い顔に戻った。
番頭が驚くのも無理はない。桜鼠を纏ったとたん、元より美しかったお蔦の肌が光り輝いて見えたのだ。容貌だけでなく、その奥床しさや思慮深さまでが匂い立っている。
(同)
お彩は父の仕事の関係でたくさんの浮世絵を見ているので、その知識も総動員して娘の着物を選びます。依頼してきた娘の母親も大満足です。で、見合いが成功したのかどうかは実際にお作品をお読みになってお楽しみください。お彩は江戸の抑圧を受け入れた女性ですから、この娘さんの縁談も一筋縄ではいかないわけですが。
お彩はお江戸のカラーコーディネーターという設定ですから、今回のように薄暗い芝居小屋で遠目から着物を見る場合にはその能力がピタリとはまります。ただお着物は洋服と違って意味で組み合わせます。季節、用向きなどを考え、着物と帯の絵や模様を組み合わせるわけです。ベタな例ですが流水模様なら竜田川ですわよね。カラーコーディネーターに着物ならではの文字(意味)的センスが加われば、お彩さんのファッションセンスは完璧ですわね。
今回のお作品は「江戸彩り草紙」連作なので、次の小説に繋がる要素が散りばめられています。お彩の父親は腕のいい浮世絵摺師だったのですが、失職して失意の底にいます。またお彩は弟子の一人の許嫁だったのですが、それも反故になってしまいました。お彩一人ではどうにもならない男社会の軋轢です。ただお彩はじっとそれに耐え、いわゆる妹の力で男社会を変えようとする女性でもあります。
アテクシはこういった抑圧の在り方が、時代小説の大きな醍醐味だと思いますわ。時代小説は複雑過ぎるほど複雑で、その仕組みが見えすぎるほど見える現代社会のフレームを単純化して、普遍的であるはずの倫理や道徳、愛を表現する小説だと思います。現代社会にも強い抑圧がありますが現代人はそれを相対化しにくい。時代小説は抑圧のフレームだけを使い、その上の審級にあるはずの理想を描かないと面白い作品にならないと思います。時代背景だけ昔で、現代人と変わらない登場人物が活躍する時代小説って、つまんないのよね。
佐藤知恵子
■ 坂井希久子さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■