アテクシ、なんやかんや言って時代小説とか時代劇ドラマが好きなのよねぇ。評判悪かったですけど、去年のNHK様の大河ドラマ『いだてん』も全部見ましたわ。リアルタイムじゃなくて、ほとんどオンデマンドですけどね。「む~」とか「う~」とか文句言いながら見てるわけ。時代劇って現代を抽象化したようなところがありますから、何を抽象化しようとしてるのか、気になるのよね。
時代小説というと、高校生くらいの時に夢中になって読んだ司馬遼太郎先生の『龍馬がゆく』がすぐに思い浮かびますわ。当時は面白いで終わりでしたけど、今思うと時代を反映していたお作品だったわねぇ。司馬先生は従軍体験がおありで皇国思想真っ盛りの世代です。その先生がどんでん返しのような戦後の民主主義を体験なさった。新しく、希望に満ちた民主主義に幕末の風雲児、龍馬を重ねて表現なさったのですわ。『龍馬がゆく』が大ヒットしたのもそれが大きな理由です。第一巻は昭和三十八年(一九六三年)刊で、高度経済成長でみんなが明るい未来を夢みていた時代ですもの。
『いだてん』は東京オリンピック開催の前哨戦として、NHK様が準国策ドラマとして制作なさった気配がありますが、俳優陣は奮闘なさっていたけど内容はイマイチでしたわねぇ。脚本の宮藤官九郎先生が、今は先の見えにくい時代だから、大きな目標を掲げて困難を乗り切ろうというメッセージをお作品に込めたのはわかりますが、オリンピックが果たして現代の目標になるかしら。現実にオリンピック開催自体が、コロナで風前の灯火になってることも象徴的よねぇ。現代はなかなか〝みんなの軸〟を立てにくい時代でござーます。
今も昔も現実世界が複雑怪奇で錯綜しているのは同じでございます。でも昔は今よりうんと情報量が少なかったから、人間は自分のポジションを決めやすかったわね。右とか左とか。だけどこれだけ情報量が増加すると、それが難しくなります。それは今現在の社会に対してだけでなく、過去の歴史解釈にも及びますわ。
情報は記録ですから、その気になれば幕末くらいから膨大な情報を収集できます。大正・昭和の戦前、戦後になるとさらに情報量は膨大になるわね。各時代に社会の軸のようなものはありました。戦前は〝皇国主義が、欧米列強によって植民地化されたアジアで日本が生き残るための唯一の道〟という軸がありました。戦後は〝民主主義が日本に明るい未来をもたらす〟という軸があった。
どちらの軸も数十年間はほぼ揺るぎない軸として機能しましたわね。でも前者は敗戦によって全否定されたのですから今は肯定しにくい。でも情報が開示され誰もがそれを入手できるようになると、戦前の皇国主義もある必然を持ったうねりだったことがわかってきます。実際当時の日本人はそれを肯定しました。誰も止められない流れとしてそれはありました。その必然を情報を精査して描くことはできます。
一方で、過去の社会の叙述は現代の視線で批判されます。日本国内では「そうだね」と首肯されても近隣諸国から激しい反発をかうのは目に見えています。それは当然論旨に影響を与える。フラットに書いたつもりでも、作家のポジションが問われる瞬間があるでしょうね。
この困難を乗り切るためには、過去から現在ではなく、未来へと伸びる正しい軸が必要になります。でもそれを見出すのが今は非常に難しい。そのため江戸のお気楽な武士や庶民を描く時代小説ではなく、戦前から戦後にかけての近過去を描く作家先生たちは、みな苦労なさっているわね。
何気なく土間に下りようとして、良一は足元に違和感を覚えた。
途端に先日覚えた不快感が、ついにはっきりとした形を以て甦る。
駄目だ。やはり、見える。消えていない――。
胸の奥底から、絶望的な不安が込み上げる。
なぜ、見えるのか。
(古内一絵「御真影」)
古内一絵先生は「御真影」は、間を置いて発表なさっていますが連作小説でございます。宮城県古川市のある旧家の家族史を描くお作品でございます。主人公は良一で、時代は昭和二十六年(一九五一年)。敗戦の混乱はようやく落ち着き始めましたが、まだ高度経済成長時代にはなっていません。良一は東京で英語の先生をしていましたが、学校で「この戦争には日本の勝てる見込みがない。だから、未来のある諸君は戦争にいくべきではない」と生徒たちに話したことで教師を首になり、故郷に戻ってきました。故郷で非国民と後ろ指を指されながら終戦を迎えたのです。
結果だけ言えば良一が言った通りになったわけですから、彼の汚名はそそがれたわけです。しかし良一は社会復帰できません。実家の書斎にこもりっきりです。学生時代からの神経症に悩まされているのです。社会からの指弾が消え去っても神経症は治る気配がありません。
自警団に理不尽な刃を向けられた良一は、日に日に強くなる全体主義を危惧せずにはいられなかった。そして、故郷を離れて一人で鬱々と不安な日々を過ごすうちに、いつしか足元に奇妙な違和感を覚えるようになった。
それが、いつから明確な形を帯びるようになったのか判然としない。気がついたときには、既に見えていた。
額から手を放し、良一は土間へと視線をやる。
家族に話したことはない。
そこに浮かび上がっているのは、御真影だ。
勲章をたくさん胸につけた陛下のお姿が見える。
なぜなのかは分からない。
自分は決して、陛下や天皇制について特別な思想を持つものではない。
只見えてしまう幻影を、しかし、断じて踏むわけにはいかなかった。だから、どうしてもそれ以上先には歩けない。
(同)
良一の神経症発症は大正十二年(一九二三年)の関東大震災がきっかけです。関東大震災の時に朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが飛び交い、まったく罪のない朝鮮人を中心に、中国人、日本人までもが惨殺されたのはよく知られています。それだけ日本の植民地経営が近隣諸国の反発をかっていたのです。良一は自警団に朝鮮人だと思われ、あやうくリンチされそうになりました。また自分は助かりましたが実際に無辜の朝鮮人がリンチされる現場も目撃しました。それがトラウマになり、いつしか神経症になってしまったのでした。
良一は戦前にはごく少数しかいなかった反皇国主義者ということになります。学校で生徒たちに「諸君は戦争にいくべきではない」と話したわけですから、反戦主義者でもあります。ただ時代の大きな流れに逆らう信念は持っていましたが、良一はそれを社会活動としては発揮していません。社会主義や共産主義運動には関わっていないのです。
良一の神経症が足元に黒い影が見える、それは天皇陛下の御真影であるというのはなかなか厳しく難しい設定ですね。良一が当時の大日本帝国を批判する明確な社会主義者であるならば、平然と影を踏んで歩み出せるはずです。しかし彼は「陛下や天皇制について特別な思想を持つものではない」ので「断じて踏むわけにはいかなかった。だから、どうしてもそれ以上先には歩けない」のです。
足元に現れる影が天皇陛下の御真影であるというのがこの小説の肝です。しかし良一に影を踏ませてしまえば、それは作家の明確な思想宣言になります。反天皇主義者でなければそれは書けない。でもそうしてしまうと小説は政治思想表現のための道具になってしまう。だけど御真影を踏めない、あるいは比喩的な言い方ですが、それをまたいで外に踏み出せないとなると、なぜ御真影といった戦前皇国主義の象徴を持ち出したのかが中途半端になる。御真影という幻影を超える軸がないことが露わになるからです。
いけ。
その姿に、良一は我知らず胸に唱える。
いつもそっけなく自分を追い越していく息子の背中は、いつの間にか大きくなった。遠ざかる背は、寂しさよりのむしろ頼もしさを良一の胸に運ぶ。
そのまま父を置いて、どこまでもいけ。
多嘉子も、園生も、自分も知らない世界のその先へ。
異邦の人に石を投げることも、国粋主義に眼を曇らせることも、戦争を〝特需〟にすることもない場所へ、新しい時代に生きる子供たちなら、きっとたどり着けるはずだ。
良彦たちの姿が小さくなって視界から消えるまで、良一はずっとその影を見送っていた。
(同)
息子の良彦は当時の皇国主義に染まりきっていました。戦争中は非国民の父を恥じ嫌ってもいた。しかし戦争が終わるとそんなことは拭ったように忘れてバスケットボールに熱中する高校生になっています。背丈もいつの間にか良一を抜くほど大きくなっている。良一は息子たちがランニングする姿を見て「いけ」「そのまま父を置いて、どこまでもいけ」と胸で唱えます。
このあたりが当たり障りのない落とし所でしょうね。冬の後には春が来る、新しく芽吹いた新緑は、去年と同じように見えてもまったく違うものだということです。つまり良一が抱えているわだかまりは解消されることなく、次の世代に持ち越された。ただ次の世代が良一の矛盾を解消してくれる保証はまったくありません。丸投げしただけです。これは、どうなんでしょうね。
「御真影」という小説の落とし所の設定方法はよく理解できます。でも古内一絵先生が最初に設定なさったテーマがお作品で十全に表現されているとは、ちょっと思えませんわね。
佐藤知恵子
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