新型コロナウイルスの影響が四方八方で出ていますわねぇ。ちょっとだけいいことといったら、政府様が給付金、補助金、融資とお金をじゃんじゃんばらまいてることかしら。景気は決してよくありませんけど、何百億というお金が皆さん、ということは市場に溢れているわけで、こんな状況にも関わらずマーケットは堅調でござーます。東京オリンピック前後に土地の暴落もあるかもって言われてましたけど、当面なさそうね。お金に関してはじゃぶじゃぶの状況で、少し奇妙ですがコロナバブルのような様相を呈してきましたわ。お金の流れってそういうものなの。アテクシだって今のゆるゆるの補助金要項見たら、とりあえず借りてみようかしらって思うもの。数年経って振り返ると、いろいろ奇妙なことが起こっていた時期ってことになりそうね。
でもまあアテクシの会社ではプロジェクトが動かなくなるって事態も起きてるわねぇ。基本、お仕事はプロジェクト単位ですから、余っちゃったスタッフは解雇、つまりクビってことになるのよねぇ。これは仕方のないことですが、アテクシのような中間管理職が首切らなきゃならないのが辛いところね。日本人はたいていおとなしいですが、オフショアの外国人スタッフは、まー暴れる可能性がけっこう高いわね。もち暴力とかそんなんじゃないわよ。「わたしはこんなに有能なのになぜ」って主張しまくるわけ。人様の生活がかかってるわけですから、さすがの鬼の知恵子様もそんなに冷たくはあしらえませんわ。
で、クビになったスタッフがどうなるかというと、優秀ならすぐにどっかの会社に拾われるわね。外資はスタッフの職歴情報を流し合ってますから、人事に見る目があればの話ですけど、優秀な人材はすぐにクビが戻るのよ。数年経って戻ってくるスタッフもいますわ。ドメドメの日本の会社じゃ考えられないでしょうけど、我が社のことをよくわかっているスタッフで能力も計算できるから、使いやすい面もあるのよね。アテクシの業界ではクビが飛びまくってて、でもどっかでまたクビが繋がっているわけですわ。かくいうアテクシはいまだにクビが飛んだことはなくって、転職で三回ほど自発的に違う会社にクビをすげ替えていますわ。まだ美魔女整形はしてませんけどねっ。
「申し訳ないが、刀は頂戴いたします。また大坂に行こうと思いましてね。今度は徳川様に付きます。負け戦じゃ儲からない。ああ、ついでにお荷物もいただいて参ります」
「ふざけるな」
小平太は喘ぎながら、木の幹に引っ掛かった身体を慎重に起こして斜面の草をつかんだ。(中略)とにかく早く上がらなければ、荷物まで取られてしまう。
「うわあ、勘弁してくれ・・・・・・なんまいだぶ、なんまいだぶ」
うわずった念仏が遠ざかっていく。小平太は木の根に足を掛け、蔦をつかんで、なんとか上に這い上がった。(中略)吐きかけた溜息を思わず呑み込んだ。
目の前に巨大な首が降りてきた。
河豚のごとく膨らんで、見開いた目玉がぎろりと動く。(中略)
「た、助けてくれえ」(中略)
怖々顔を上げると、大振りの首は地面に落ちて、蛇が腹を見せてのたうつように転げながら縮んでいく。薄気味悪くて見るに堪えない。
(由原かのん「首侍」)
由原かのん先生の「首侍」は第99回オール讀物新人賞受賞作でございます。新人賞は毎回楽しみで必ず読みますが、「首侍」はとってもレベルの高いお作品ですわ。
小説は元武士の子で、今は江戸麹町で湯屋の隠居として暮らしている池山洞春が、母の三回忌に遺骨を伊勢の菩提寺に納めに行く途中で語った物語が中心です。もう三十三年も前の思い出話です。洞春はまだ小平太という名前の若者でしたが、すでに親戚筋の麹町の湯屋で働いていました。そこに一人の浪人が訪ねて来て叔父・池山左太夫の言伝を話します。「戦場は寒かったが元気でいるから心配するな、母上を大事にしろ」という短くそっけないものでした。左太夫は浪人ですが大言壮語の夢想家で、大坂の豊臣方について一旗揚げると言って一年ほど前に旅立っていったのでした。
この言づけに激しく動揺したのが母親でした。大坂まで行って左太夫を連れ戻して欲しいと小平太に言います。母の取り乱しようを不審に思った小平太が問い質すと「今まで左太夫殿を叔父上と申してきたが・・・真はおまえの父親です」「どうしてそうなったのか・・・・それは、私の口からは言いにくい。大坂に行って、左太夫から直に聞きなさい」と言います。小平太は大坂に旅立つことになりますが、この出生の謎が一つ目の仕掛けです。
二つ目の謎は生きた生首です。初めての一人旅でしかも長旅なので、小平太は常に道連れを探していっしょに旅していました。関ヶ原から亀山に抜けるのに西街道を通って近道をしようと思い五助という男と道連れになりますが、この男にいきなり襲われたのです。五助も浪人で大坂で徳川方について一旗あげようとしていましたが刀がない。そこで父の形見の刀を腰に差した小平太を狙い、ついでに荷物も奪おうとしたのでした。
小平太は人気のない山中で五助に崖から突き落とされますが、そこに天から降って湧いたように現れたのが生首です。五助は驚いて逃げ小平太も驚きますが、少し落ち着くとこの生首、何か物言いたげで悲しそうです。声は出せないのですが、小平太が話しかけると口を開いて何か言う。期せずしてこの生首に窮地を救われたこともあって、小平太は生首を背中の荷物に入れて大坂まで旅することにします。これが二つ目の謎ですね。この生首、いったいどんな理由で生首になり、しかも首だけで生きているのか。
三つ目の謎は、小平太こと洞春が昔話を始める経緯です。洞春は江戸からさほど離れていない藤沢宿で悪天候のため足止めを食らっていました。宿を借りた百姓家の子供にせがまれて昔話を始めたところに、身なりのいい侍が道を尋ねてきます。侍は少年主君の供をして旅しているのですが、そこに若殿様も現れ、洞春の話を小耳に挟むとどうしても最後まで話を聞きたい言ってききません。洞春は若殿様一行が泊まる本陣に行って昔話をします。なぜこの一行に昔話をするのかも、お作品の最後で物語の大団円に繋がってきます。
なるほど――一策ひらめいた。
「無念の形相をしろ。徳川勢に向かって南へ走る」
戸惑う斎之助を籠ごと抱え直すと、小平太は道に躍り出た。元々江戸に住まう身だ、徳川様にはなじみがある。心底味方になりきって、擦れ違う徳川勢に軽く会釈した。(中略)堀止まり近くまで来た時だった。真新しい鎧を着けた侍とその家来が、いきなり行く手を遮った。
「その首、こちらによこせ」
人の手柄を横取りしようと、槍を構えて小平太を脅す。(中略)小平太は槍をつかんで間合いを詰めると力任せに胴を蹴飛ばした。家来は主を見捨てて逃げていく。槍の穂先を突きつけると、鎧武者は転がるように走り去った。
(同)
小平太は大坂で叔父の左太夫に再会しますが、左太夫は豊臣方について討ち死にする覚悟です。左太夫は逃げろと言いますが、実の父親を置いて逃げるわけにはいかない。小平太は左太夫とともに合戦に加わることにします。しかし左太夫の「その命、親より先に使い果たすな」という言葉も守ります。
合戦は豊臣方に不利で小平太は追い詰められますが、いつもいっしょにいるようになった斎之助――生首と意思疎通ができるようになりその名前も知っています――を戦場で討ち取った首に見立て、窮地を脱しようとします。実際斎之助の働きもあって、小平太は戦場から逃げおおせます。
小平太と左太夫が加わったのは豊家が滅びた慶長二十年の大坂夏の陣です。物語は三つの謎を解くストーリーを中心に進みますが、ここで合戦、いわゆるチャンバラというアクセントも加わったことになります。時代小説としてはほぼ完璧ですね。
西の追分から奈良道に入ると、昨日の不快が嘘のように足取り軽く進んだ。加太川沿いに進む道は野を越え谷を抜け、時折小さな峠をまたいで山深くへ伸びていく。先はわからないが、今のところさびれた道ではない。野には集落があり、所々に建つ石の道標が旅人を励ましてくれる。
鍛冶ヶ坂という小さな峠を越えた集落の先で、そろそろ朝飯にしようと社の境内に入った。この先には伊勢伊賀国境の加太峠という難所が待っている。無事に峠を越えたら、今夜は上野城下に泊まり、明日はその先の笠置峠を超えて木津へ向かうつもりでいる。
(同)
三つの謎解きは実際にお作品を読んで楽しんでいただくこととして、「首侍」という小説のタイトルにあるように物語の中心は生きた生首ですわね。生首が生きているはずもなく、この設定にオチをつけるためには現世を離れた怪異というか、奇跡が必要になります。ただ最初から怪談話ならともかく、「首侍」はひょんなことで主人公の目の前に現れた生首となんとなく馴染んで友達になってしまい、いっしょに旅するというストーリーです。普通なら現世を離れた途端に物語りが浮いてしまいますわ。ところがそうなっていません。
その理由はしっかりとした下調べにあるでしょうね。小平太は中山道を通って大坂に向かうのですが、その道中の記述が非常にしっかりしています。取材して書いたには違いないでしょうが、作家の腑に落ちている気配があります。山中の道筋の描写から生まれるリアリティが怪異を現世の出来事にし、現世の出来事を怪異(奇跡)移行させるのにするのに役立っています。物語の背景描写にリアリティがあるので、「こんな出来事も起こるのかな」と読者に思わせてしまうのです。
複数の謎解き設定、時代小説では難しい怪異譚、しっかりとした下調べと「首侍」はほぼ完璧なエンタメ小説です。新人賞受賞作に相応しいですわ。ただ時代小説全体としてみれば、このジャンルが飽和に近づいているような気もしないでもないですわね。新人作家がこれだけの要素を詰め込めるということは、技術的にもテーマ的にも時代小説というジャンルができあがってしまっていることを示唆しています。
完璧に近い形まで洗練された芸術ジャンルは、その後は完璧を崩してゆかなければなりませんわね。そうしなければ新しい味の小説は生まれません。もちろん由原先生はそういった力をお持ちだと思いますわ。
佐藤知恵子
■ 金魚屋の本 ■