【第7回金魚屋新人賞受賞作品】高津敬三『つつくら』(俳句五十句)をアップしましたぁ。金魚屋新人賞選考委員の辻原登先生が「『つつくら』のような端正な俳句は久しぶりに読んだ気がする。連作俳句になるとどこかに隙があるものだが、それも見当たらなかった」と評した完成度の高い俳句作品です。短歌、俳句、自由詩の詩の分野では文学金魚新人賞初の受賞作です。
若い作家さんたちの幻想を潰えさせてしまうようで気が引けるのですが、今は文学で十分な収入を得るのが難しくなっている時代です。小説ではだいぶ前から純文学は絶望的でしたが、だんだん大衆文学にも及び始めています。いわんや短歌、俳句、自由詩をやですね。詩は元々経済的には厳しいジャンルでしたが、こりゃどうしましょ、という状況になっています。若いなどでいっときそれなりに需要がある作家はいますが、継続的にとなると厳しい。
先にあんまり聞きたくないことを書いておくと、今後の社会で本全体が、つまり出版界全体が大きく盛り上がって収益を伸ばすことはまずないと思います。これからも話題の本、売れる本は出るでしょうが、それに引っ張られて出版界全体が好況になるのは望めないということです。本以外のエンタメコンテンツがたくさんあるのだから当然です。となると世の中の絶対的エンタメ要素の基盤――物語を持っていない詩のジャンルは厳しいどころの騒ぎじゃありません。
じゃどうすればいいのかということになりますね。これについては作家は横並びではないので個々に考えるしかありません。自己の特徴や長所を認識して、ありとあらゆる方法を使ってそれを表現してゆくしかない。ただその場合でも〝なぜ文字なのか、文学なのか〟という根本的な強い動機がないと読者を揺り動かせないでしょうね。何が良い作品なのかという従来的価値基準が崩れ、とりあえず少しでも売れれば良作とみなさざるを得ない時代にそれは悠長な話ですが、どこかで文学の根っこをつかまえておかないと苦しい状況で作家が書き続けることすら難しくなります。
現在の苦しい状態は今後も続くでしょうが、詩は小説に比べると元々商業的・経済的にマイナーな世界です。雑音に惑わされず文学の根っこ、つまり文学の本質という意味での純文学を探求しやすいジャンルでもあるということです。文学ジャンルごとに苦境を打破する方法は違うと思いますが、詩が現代に対応した文学の基盤を探り当てることができる可能性はあると思います。
■ 【第7回金魚屋新人賞授賞作品】高津敬三『つつくら』(俳句五十句)縦書版 ■
■ 【第7回金魚屋新人賞授賞作品】高津敬三『つつくら』(俳句五十句)横書版 ■
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■ 第8回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
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