小原眞紀子さんの連載エセー『詩人のための投資術』『第十八回 投資メンタル――雑感I』をアップしましたぁ。金魚屋から『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』を好評発売中の小原さんの経済エッセイです。今回は「雑感 Ⅰ」で若い世代のメンタリティについて論じておられます。もちろんそれは若い世代だけの問題ではなく、現代を生きる全世代が抱える問題です。
世界のあり様、その見え方にしたがって、わたしたちも形作られていく。すなわちわたしたち自身も透明になりつつあり、若いコたち、そしてヒエラルキーから解き放たれつつあるわたしたちも、その透明な自身を覗き込み、何かの核心を得ようとしている。いや本当は気がついている。核心もまた透明であり、それが自身の中にあると信じる根拠はない。ただ溢れる情報を取り込む装置にフォーカスするしか、すでに物理的に(時間的に、情報量的に)無理であることを。装置としての自身を透明化することでしか、この状況に物理的に(時間的に、情報量的に)対処できないことを。そしてこの物理的な(時間的な、情報量的な)必然性によって、そこから後戻りすることはないと約束されている。そう、わたしたちが透明化するにつれ、世の中はよくなっているのだ。
(小原眞紀子『詩人のための投資術』)
高度情報化社会とは基本的に、様々な情報が万人に対して等価に解放されている社会です。裏情報を含めて公開情報なのであり、それがリークだとわかれば情報の一つと化す。リークとわかればたいていの場合、その経路は閉ざされます。つまり社会は透明化されているわけですが、その対処方法として (1) 自我意識の肥大化、(2) 社会に合わせた自我意識の希薄化という、大別すれば二つの方法がありますね。
(1) は当然高度情報化社会に逆行します。アナクロな足掻きですな。だから経済界であれ文学界であれ〝僕ちゃん、わたしちゃん主義〟を前面に押し出すとしても、(2) を踏まえていないと時代遅れの勘違いになってしまいます。現代的自我意識は高度情報化社会に対応して自我意識を希薄化させ、変化した社会を上位から眺めるか、その深層に下って原理的な仕組みを捉えるしか構築しようがないわけです。ただそれができれば上から見ても下から見ても、見えてくるものは同じであるはずです。
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