高嶋秋穂さんの『詩誌時評・歌誌』『角川短歌』の4連投です。文学金魚の岡野隆さんの句誌時評では相当に辛辣な批評が並んでしまいますが、高嶋秋穂さんの歌誌批評は穏やかであります。これは岡野さんと高嶋さんの性格の違いではなく、句誌と歌誌の違いのせいです。石川も歌誌はザザッと読みますがコモンセンスが保たれています。これは今の文芸誌ではとても珍しいことです。
純文学小説誌、特に文學界は芥川賞を実質的に主催している雑誌ですが、編集方針を見ていると何をしようとしているのかぜんぜんわからない。小説を掲載するのがメインのはずなのに、編集部が主体となる特集ページ、特に映画関係特集がやたらと多い。映画に過剰な文学的思い入れを抱くのは絶対にアカンです。映画業界はそんなに素晴らしい業界ではない。文學界は芥川賞さえあれば安泰で、後の12ヶ月は編集部が好き勝手に遊んでいればいいといった雑誌になっています。編集者の大学講師天下り運動なども盛んですし、小説文芸誌はかなり堕落しておりますな。
句誌のレベルが低いのは岡野さんが批評しておられる通り。自由詩の詩誌はさらにわけがわからない。昨日の時評で高嶋秋穂さんが、ある文学ジャンルのセンター雑誌であるためには、① 公平な作品掲載 ② 本格的文学論 ③ 状況論の3つが必要だと書いておられますが、この3つともを完全に欠落させてしまったのが自由詩の詩誌でしょうな。要するに自費出版を募るための広報誌が自由詩の詩誌なので、初心者俳人の啓蒙に特化した句誌よりさらに悪い。執筆者も賞の受賞者もほぼ自社で自費出版した作家になっておりますな。詩人たちはそんなお手盛り業界にいて楽しいんでしょうかね。
文芸誌は全般的に貧すれば鈍すの状態になっているわけですが、発行部数が上向きになる要素はほとんどないわけですから、近い将来廃刊になる文芸誌が相次ぐと思います。一握りの売れっ子作家を除き、大半の作家は原稿料と印税の二重取りができなくなる。ま、これは今現在も多くの作家がそうですが。またクライアントの要望通りに書くライターと作家が、さらにはっきり分別されるでしょうな。ライターは増え続けているので作家にライター仕事は落ちてこなくなる。まず自分のために書く作家の環境はますます厳しくなります。その上文芸誌が少なくなるので作品の発表場所がさらに少なくなる。
と、このくらい厳しい近未来を予想していれば作家は怖いものなしであります(笑)。実際、相当に厳しいことになるのは間違いない。ただかなり厳しい状態になって初めて、なんちゃって作家と書かないと生きていけない本物の作家が分別されるのかもしれません。今は微かとはいえ名誉やお金で作家のモチベーションが保てるわけですから、まだまだ底値に達していないんでしょうね。
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.053 高野公彦「精霊のささやき」)』(角川短歌 2018年07月号 ■
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.054 特集 創刊120年「「心の花」の女性歌人たち」』(角川短歌 2018年08月号)■
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.055 「高島裕「文語・旧かなは現代語である」』(角川短歌 2018年09月号)■
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.056 富田睦子「歌壇時評「「私」という武器」』(角川短歌 2018年10月号)■
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