金魚屋から『夏目漱石論―現代文学の創出(日本近代文学の言語像Ⅱ)』を好評発売中の、鶴山裕司さんの『美術展時評』『No.100、101』をアップしましたぁ。鶴山さんの美術展時評、100回を越えましたね。好きこそものの上手なれで、美術に興味があり、書くのが生業なのでこれだけ続くのでしょう。鶴山さんは詩、小説、批評(美術、俳句、短歌、小説、自由詩、絵劇)を書くマルチジャンル作家ですが、意図的に興味の幅を拡げてゆかないとジャンル横断的な思考は育ちません。
今回は珍しく『日本の素朴絵-ゆるい、かわいい、たのしい美術-』展を批判しておられます。「素朴絵」はかなり曖昧なジャンル概念です。技術、思想ともに未熟で単純だった古代人の絵がプリミティブなのは当然ですが、近世に入ってから意図的に技巧を排して描かれた絵を素朴絵と呼べるのかどうか。
鶴山さんは『絵画の発展は文字情報(知識)の発展と歩みを同じくしている。いつの時代でもどの文化圏でも同じだが、文字を拠り所にした哲学的思想の発展がなければ絵画はずっと原始的(プリミティブ)なままだ』と批評しておられます。つまり素朴絵は、画家あるいは絵画史的な思想を無視して、素朴絵を選ぶ人の主観(恣意)で作品が選ばれているジャンルだということです。漠然と楽しむならいいでしょうが、学問的な裏付けはないでしょうね。
鶴山さんは以前はかなり厳しい批評を書いておられたのですが、ある時期からパッタリ書かなくなりました。前に理由を聞いたら『今は批評ってのはほぼ全部悪意ある批判だと受け取られてしまって、ちょっとでも否定的なことを書くと「ディスられた」の大合唱になっちゃうから、やってらんない』とおっしゃっていました。まーそういう面があるのは確かだな。傷口を舐め合うような誉め合いが多いからなぁ。鶴山さんが同時代批評を書かなくなって古典を含む原理的批評に向かっているのは、そういった批評状況の影響もあるんでしょうね。
■ 鶴山裕司『美術展時評』『No.100『生誕150年・没後80年記念 原三渓の美術 伝説の大コレクション』展』 ■
■ 鶴山裕司『美術展時評』『No.101『日本の素朴絵-ゆるい、かわいい、たのしい美術-』展』 ■
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