田山了一さんのTVドラマ批評『No.181 ファーゴ』をアップしましたぁ。コーエン兄弟の大ヒット映画を、アメリカのケーブルテレビ局FXが連続ドラマ化した作品です。田山さんは前回同じくケーブルテレビ局制作の『THE WIRE』を取り上げておられましたが、『ファーゴ』の方が地上波には乗りやすいでしょうね。
映画版『ファーゴ』はちょっと奇妙な作品です。それがコーエン兄弟の映画のウリではあるのですが、『ファーゴ』は特に変です。殺人事件が起こり、警察による捜査があり、最後に犯人は捕まるのですが、ぜんぜんスッキリしない。モヤモヤっとした感じが残る。それはテレビドラマ版の『ファーゴ』も同じであるようです。
田山さんは『えんえんと白い雪景色が続く『ファーゴ』の世界は、ある意味〝白痴〟の世界だ。しかし知性がないとは言えない。『ファーゴ』では臆病で気の弱い人間が、事件が起こるたびに驚くほど狡くて用心深く、かつ大胆になってゆく。このような知性のあり方はトルーマン・カポーティの『冷血』の時代からほとんど変わっていない。アメリカ独自の犯罪のあり方であり、知性の表現の仕方である』と書いておられます。
また『『ファーゴ』では事件はささいなきっかけで、偶発的に起こる。そして起こってしまった事件は決定的だ。取り返しがつかない。事件とは現実にはそのようなものである。どんなに後悔しても、どんな言い訳をしても事件は消え去らない。だから人間はうんと考え始める。なんとか事件をなかったものにしようと、ありとあらゆる嘘を、方策を生み出してゆく。事件は動物的な怒りや欲望で一瞬で起こるがその終息は長く複雑に続き、かつ決して当初の事件のダメージを消し去ることがない』とも批評しておられます。
このあたりに『ファーゴ』というコンテンツの魅力があるでしょうね。フィクションであろうと事件は〝決定的〟に起こるものです。それをどのくらい切迫感をもって表現できるのかが作家の力量だと言えるくらいです。
■ 田山了一 TVドラマ批評 『No.181 ファーゴ』 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■