Amazon prime TV
アメリカFXチャンネル制作
『ファーゴ』は元々はコーエン兄弟制作の一九九六年公開のアメリカ映画である。コーエン兄弟作品の中で、興行的に最も成功した映画として知られる。それをアメリカのフォックス・エンターテインメント・グループ傘下の有料テレビ局、FX(Fox extended)がテレビドラマ化した。ノア・ホーリーが映画版『ファーゴ』に着想を得て脚本を書いたが、コーエン兄弟も制作総指揮として参加している。現在までにシーズン3が制作され、シーズン4も来年公開される予定なのだという。根強い人気を誇るコンテンツである。
映画版『ファーゴ』は自動車販売ディーラーのジェリーが借金に困り、裕福な妻のジーンの狂言誘拐を計画する話である。ジェリーは金さえ払えばなんでも請け負うカールとゲアというチンピラに誘拐を依頼する。誘拐はあっさり成功するが、アジトに向かう途中で警官に職務質問され、二人は警官と目撃者を撃ち殺してしまう。ここからジェリーはもちろん、誘拐犯カールとゲアの当初の目論見も大きく狂ってゆく。娘のために身代金百万ドルを用意した義父のウェイドはカールに殺され金を強奪される。妻のジーンも死に、金の取り分を巡る仲間割れでカールはゲアに殺される。金だけ得られればいいはずの狂言誘拐が、大量殺人事件に発展してしまったのだ。この事件を追うのが地元警察のマージである。彼女は妊娠中で、売れない画家の夫ノームと質素だが仲睦まじく暮らしている。
映画版『ファーゴ』はブラック・ユーモアにジャンル分けされるようだ。映画版でもドラマ版でも冒頭に「これは実話である。実際の事件は○○年に起こったが、生き残った人たちの名誉のために実在の名前は変えてある」云々といったテロップが流れる。ただ『ファーゴ』に描かれたような現実の事件は存在しない。だから悪い冗談――ブラック・ユーモアだと言えないことはない。しかし『ファーゴ』の魅力はブラック・ユーモアといった概念には収まりきらない。行き違いや誤解によって生じる笑いの要素はあるが、面白さを前面に打ち出した作品ではない。物語は淡々と、残酷に進んでゆく。カタルシスもない。ただそれが『ファーゴ』というコンテンツのカルト的な人気を呼んでいる。
映画もドラマも物語の舞台はノースダコダ州ファーゴである。ミネソタ州との境にある小さな町で、カナダにも近い田舎町である。事件は冬に起こる。町の中には雪が積もり、人々は防寒具で着ぶくれしている。アメリカのテレビ・映画スターのように痩せた美男美女ではなく、アメリカ社会で一番ありふれた太った中年男女俳優が起用されている。彼らが防寒具でさらに身体を大きくさせているのだ。町を離れれば一直線に伸びる道路が続き、見渡す限りの雪原だ。この真っ白の世界が『ファーゴ』の基調低音であり、この作品の大きな魅力を生み出している。
ノア・ホーリーが脚本を書いたドラマ版『ファーゴ』はコーエン兄弟の映画版へのオマージュと言っていいが、その分オリジナルにあった牽引力が強調されている。保険勧誘員として働くレスターは、四十歳にもなるのにいまだにハイスクール時代からのいじめっ子、サムという大男にいびられている。町でまたサムにからかわれ、逃げようとしたレスターはショーウインドウのガラスに自分から顔面をぶつけて鼻を折ってしまう。病院に治療に行ったレスターは待合室でローンという男に話しかけられる。ローンは実は殺し屋で、請け負った殺人を遂行したばかりなのだが、道路に飛び出してきた鹿に車がぶつかって顔にケガをしてしまったのだ。おしゃべりで気の弱いレスターからサムの話を聞いたローンは「そんなやつ、殺してしまえばいいんだ。殺してほしいか?」と聞く。レスターはイエスともノーとも答えないがローンはサムを殺す。取り乱すレスターにローンは「ノーとは言わなかったじゃないか」と冷たく言い放つ。しかしそれだけでは済まない。
レスターは家庭でも妻に馬鹿にされていた。ある日妻に手ひどく罵られ、思わずハンマーで殴りつけ殺してしまう。激しく動揺したレスターはモーテルに滞在していたローンに電話して、助けて欲しいと懇願する。ローンはレスターの家に来るが、サム殺害事件の前に町でレスターとサムが小競り合いをし、病院でレスターと謎の男(ローン)がサムの話をしていたと聞き込んだ警察署長が事情聴取にやってきていた。警察署長は妻が撲殺されているのを発見しレスターを逮捕しようとするが、背後からローンにショットガンで撃ち殺されてしまう。気の弱いレスターは自分から壁に激突して失神する。気がつくと病院にいる。レスターは捜査担当になったモリーという女性警官に、見知らぬ男が押し入ってきて妻と警察署長を殺したと嘘をついた。
また運送業者だったサムは、ファーゴの暗黒組織とつながりがあった。そのボスがサムは敵対組織に殺されたのだと考え二人の殺し屋を送り込んでくる。ローンは彼らにつけ狙われ、一人を殺す前に黒幕がファーゴのギャングだと聞き出す。ローンは本拠地に乗り込んでギャングたち二十人以上を皆殺しにしてしまう。基本的に報酬を得る殺人しかしない殺し屋だが、気まぐれでレスターの天敵サムを殺してやったばかりに大量殺人に手を染めることになったのだ。
一方でレスターは証拠をねつ造して弟に妻殺しの濡れ衣を着せ、嘘に嘘を重ねてゆく。しかし嘘をつき続けるうちに、レスターは次第に図太くなってゆく。レスターを演じたマーティ・フリーマンはおしゃべりなミスター・ビーンといった雰囲気だ。さえない保険勧誘員だったレスターは、事件後メキメキと頭角を現し全米一の保険勧誘員になる。若い後妻も迎える。しかし成績優秀な保険勧誘員を表彰するパーティが開かれたラスベガスのホテルでローンと偶然再会したことから、二人の運命はまた狂ってゆくのだった。
えんえんと白い雪景色が続く『ファーゴ』の世界は、ある意味〝白痴〟の世界だ。メジャーなアメリカ犯罪ドラマに登場するのは高い知性を備えた人たちだが、『ファーゴ』の登場人物たちの知的レベルは低い。口論でかなわなければ、身体の大きさや銃で相手を威嚇して自分の要求を通そうとする。善人も悪人もある程度皆そうだ。誇張されているがそれがアメリカ社会の現実であり、マチョイズムが支配するアメリカの暗部である。彼らは考えなしに人を殺してしまう。しかし知性がないとは言えない。
ドラマ版の主人公レスターに端的に表現されているように、『ファーゴ』では臆病で気の弱い人間が、事件が起こるたびに驚くほど狡くて用心深く、かつ大胆になってゆく。レスターは自分を殺しに来たローンを返り討ちにして大けがをさせるまでになる。そこには奇妙な形での知性の発展がある。レスターを追う警察官のモリーも同様だ。映画版と同じく彼女も妊娠しているが、決して知的なディテクティブとしては描かれていない。事件によって彼女の知性も引き出されてゆく。
このような知性のあり方はトルーマン・カポーティの『冷血』の時代からほとんど変わっていない。アメリカ独自の犯罪のあり方であり、知性の表現の仕方である。わたしたちのような外国人ですら『ファーゴ』にある種のノスタルジーを感じる。アメリカ人ならなおさらだろう。暴力と自己保身(自分可愛さ)を含む人間の原点が描かれているのだ。ざらざらとした現実の冷たさと、滑稽で残酷だがやはり知性としか言いようのない人間の暗部がある。ただその露骨で正直な厳しいせめぎ合いの中に、アメリカ的良心というものもある。
小説でもドラマでも同じだが、いわゆる頭の悪い人間を主人公や登場人物にして魅力ある作品に仕上げるのは難しい。古典的なことを言えばポアロやホームズ、コロンボのような神に近い知性と洞察力を持つ主人公を設定した方が話はまとまりやすい。しかし『ファーゴ』はその逆をゆく。物語の作り方としては高度で難しいが、その分リアリティは増す。たいていの犯罪者は愚かで行き当たりばったりで、なおかつ狡いのだ。
『ファーゴ』では事件はささいなきっかけで、偶発的に起こる。そして起こってしまった事件は決定的だ。取り返しがきかない。事件とは現実にはそのようなものである。どんなに後悔しても、どんな言い訳をしても事件は消え去らない。だから人間はうんと考え始める。なんとか事件をなかったものにしようと、ありとあらゆる嘘を、方策を次々に生み出してゆく。事件は動物的な怒りや欲望で一瞬で起こるがその終息は長く複雑に続き、かつ決して当初の事件のダメージを消し去ることがない。
小説家やドラマ脚本家は事件を物語の一要素として考えがちだ。しかしその手触りを現実に近づけるためには決定的に残酷な事件を起こす必要がある。『ファーゴ』はそのための良い教材だろう。映画やドラマだが『ファーゴ』の事件の描き方はとても現実に近い。
田山了一
■ 『ファーゴ』関連コンテンツ ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■