大野ロベルトさんの連載映画評論『七色幻燈』『第十八回 原色の女神』をアップしましたぁ。ジェイソン・ライトマン監督の『JUNO/ジュノ』を取り上げておられます。高校生の女の子ジュノの妊娠と出産、子供の里親探しを巡るお話です。ベタに観客の興味を惹こうという設定ですが、大野さんは『画面の四隅にちりばめられた原色の記号を解き放ってやれば、「ジュノ」の神話も息を吹き返す』と書いておられます。
妊娠というジュノの危機をもたらしたものこそ、原色に塗りたくられた物質的世界なのだ、と言うこともできるかもしれない。それを裏書きするように、ラストシーンでようやく静かに愛を語りあうようになったジュノとポーリーのシーンはむしろ穏やかな中間色に満たされており、そこにある「文明の利器」も自転車やギターといった、長い歴史を持つ(したがって懐かしさを誘う)ものばかりなのである。
大野ロベルト
大野さんが批評しておられる通り、アメリカは徹底した物質文明社会です。それがアメリカ文化です。アメリカ人ではない人間は、ロラン・バルトのようにそれを観念の問題として捉えることができますが、アメリカ人はそうではない。パリス・ヒルトン語録に『世界中のお洋服を着られるわけじゃないんだから、コンビニに行く時もオシャレしなさい』がありますが、それを本当に信じて実践できるのがアメリカ文化です。コンシューマー(消費者)が生産者に拮抗、あるはそれ以上の力を持つ。アメリカ人が行き着く精神世界は、この物質文明を前提としなければ決して理解できません。
このアメリカ文化を中途半端に真似ると悲惨なことになります。日本でもやたらと大物作家を持ち上げ、おご馳走や高級ブランド服やバッグの自慢ばかりしている作家がいたりします。物でも文化でも高級コンシューマー(消費者)であることで自己の特権性をアピールしようとするわけですが、フィッツジェラルドのギャツビーレベルまで達しなければ、アメリカで頂点を極め文化の域にまで達した蕩尽的資本主義物質文明の本質はえぐれません。『JUNO/ジュノ』はアメリカ文化を体現した作品です。
■ 大野ロベルト 連載映画評論 『七色幻燈』『第十八回 原色の女神』 ■
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