高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『No.039 大特集「平成短歌の考察」(角川短歌 2017年05月号)』をアップしましたぁ。1980年代半ば以降に生まれた新たなタイプの短歌を口語短歌とかニューウェーブ短歌と呼んだりします。ただ『文語を使う若手・中堅作家もいるわけですからちょっとインパクトは薄れますが「平成短歌」と総称する方が最大公約数的かもしれません』(高嶋)。ちょいと乱暴に言うと、今回は俵万智『サラダ記念日』から始まる平成短歌の大特集です。
石川は歌誌、句誌、詩誌をチラチラ読んでいますが、歌壇が一番まっとうで健全だなぁ。若手歌人は伝統派の年長歌人に頭を押さえつけられていると不満いっぱいかもしれませんが、実験的な作品や評論を発表できて、それについて若手と年長作家の間である程度コミュニケーションが取れているのは歌壇だけです。
石川は編集のプロですが、俳壇、詩壇の雑誌を担当しろと言われたら困るだろうなぁ。そもそも作家たちが角川俳句や現代詩手帖を〝大政翼賛〟する精神にどっぷり漬かっている。まずそれを変えるための多様性を導入しなければなりません。で、それって当然、今の角川俳句や現代詩手帖の否定につながるわけで、絶対矛盾ですね。ま、そもそも雑誌主導で何かを変えようといふのがお気楽なんです。あるジャンルの低迷は基本的に創作者の責任です。
歌人は五七五七七でなければ短歌ではないと言うことができます。その逆に理念があれば定型を崩してでも「短歌である」と主張できる。このポイントからどんな成果を生み出すのかが正念場です。短歌は自由な表現と捉えた第二第三世代の平成短歌歌人たちが形式ではない短歌文学の姿を明らかにできるのかそれとも短歌文学を外れて自由詩や小説の世界に進んでゆくのかあるいは短歌形式の特徴に気づく(回帰する)のかはまだわかりません。どちらに進むにしても楽しみです。ただ新しい平成短歌世代が手をつないで一斉に同じ方向に進まないことだけは確かです。道は必ず割れる。
高嶋秋穂
短歌や俳句の定型文学の場合、その表現の核のようなものが必ずあります。それがわかると、かなり作品の表層的派手さは失われる。若手は当然、派手で目立つ表現を失いたくない。年長歌人は「そんなことぢゃ続かないよ」と言いがちですが、若手作家は派手で目立ちながら、定型文学の核を模索するという困難な道を選ぶことができます。歌壇はもしかすると、そういった作家を生み出せるかもしれません。
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.039 大特集「平成短歌の考察」(角川短歌 2017年05月号)』 ■
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