おおむね一九八〇年代以降に生まれた新しい短歌の動きを口語短歌とかニューウェーブと呼んだりします。ただ文語を使う若手・中堅作家もいるわけですからちょっとインパクトは薄れますが「平成短歌」と総称する方が最大公約数的かもしれません。今月号は「平成短歌」の大特集です。
昭和末から平成への転換点は、いわば中堅として現在の短歌を支える歌人たちが次々にデビューした時期である。昭和六十一(一九八六)年、坂井修一『ラビュリントスの日々』、六十二(一九八七)年、小島ゆかり『水陽炎』、加藤治郎『サニー・サイド・アップ』、俵万智『サラダ記念日』、六十三(一九八八)年、米川千嘉子『夏空の櫂』、六十四・平成元(一九八九)年、水原紫苑『びあんか』、平成二(一九九〇)年、栗木京子『中庭』、川野里子『五月の王』、穂村弘『シンジケート』。(中略)それらはライトヴァース、ニューウェイブといった流行語をも生みながら、歌壇外の読者を巻き込み、従来にはなかった新しい層を短歌に導いた。そこでのキーワードは「ポップ」であり「大衆化」だったと言える。
(谷岡亜紀「多様化と分断の中で」)
谷岡亜紀さんの特集総論です。ほかにも平成短歌としてあげることができる歌集はあり平成はまだ続いているのでリストは増え続けていますが必要十分なレジュメだと思います。ただ「歌壇外の読者を巻き込」んだというのはどうかなぁ。ポップで大衆的な平成短歌が短歌創作の敷居をうんと下げたのは確かだと思います。現代詩のように難解でなく俳句のように形式面でも結社面でも縛りがきつくない短歌を気軽に作る人が増えたというのが実情ではないでしょうか。つまり短歌創作人口は確実に増えた。だけど短歌創作者=読者であるのはいっこうに変わらない。とりあえず歌壇が賑やかになったということだと思います。
余計なことを書くとしばしばツイッターの普及が平成短歌盛り上がりの要因になったと言われます。そういう面はありますが続くかな。平成短歌の旗手で本気でツイッターを活用している作家は少ない。歌集を出すか出さないかの歌人予備軍が仲間内の情報交換ツールとして利用している場合が多い。ツイッターはその気になれば全世界から読める開かれたプラットホームですが現実には身の回り三メートルくらいのクローズドなメディアになりがちです。いわゆる〝炎上〟でもしなければ不特定多数の注意を惹かない回覧板。だからある種の芸能人が未必の故意として起こす炎上は話題作りとしては正しい。良くも悪くもツイッターの凄味を感じるのは炎上系の時だけですね。常態は一定サークルに閉じたメディアです。
ツイッターでの発言はたいていは相手の顔が見える内輪話なので過激な発言も飛び出しますが表舞台では通用しない。今はパソの細道に戸惑っている年長歌人が過剰反応しているところがありますがSNS当たり前の世代になれば「あーそうね」程度の一瞥で終わるでしょうね。また作家仲間などそうそう信頼できません。必ず道は分かれます。むしろ作家は自分以外は信頼しない方がいい。ツイッターは学生気分の抜けない内のお遊びでありそれこそ情報としてツイッターの陥穽はすぐに共有されるでしょうから意外と見切られるのが早いかも。つぶやき程度の表現で何かが達成できるなら世話はない。一昔前の長電話やポケベルと一緒でいずれ卒業です。卒業できなければいつまでも〝ではない〟とたわいもない不平不満を言い続けることになる。〝である〟と言わなければならないと気づけばつぶやき程度では済まないのです。
特集では「バブルが短歌に与えたもの」という座談会も組まれていましたが正直言ってあまりいい切り口だとは思わなかったなぁ。せっかくの新しいムーブメントを矮小化してしまうのではないでしょうか。一九八〇年代後半が戦後日本の曲がり角だったのは確かです。この時期を境に小説の世界でいう戦後文学が急速に勢いを失ってゆきました。現存作家が多いので名前をあげるのは控えますが八〇年代中頃までは綺羅星のようだった作家たちがまるで物故作家のように遠い存在に感じられ始めたのです。変化はもちろん小説の世界だけで起こったわけはありません。
自由詩の世界では戦後詩と現代詩が明らかに魅力を失いました(この二つは同時発生しています)。詩の世界では「現代詩手帖」誌が刊行されていてお世話になっている詩人さんたちが多いので現代詩は終わったと言うことすらできない馬鹿げた状況が続いていますが誰が見ても賞味期限切れです。俳句の世界では前衛俳句運動が終焉を迎えました。自由詩の世界はポスト戦後詩・現代詩のヴィジョンを見いだせず――というか現代詩の限界すら認められずに自滅的衰退の一途を辿っています。俳壇は言葉は悪いですが鬼っ子のような前衛俳句を排除してから結社利益を前提とした初心者獲得に血道をあげ有季定型保守の習い事文学に突き進んでいます。多様性を許容する風土が失われてしまいウルトラ保守化しているわけです。新しい才能が現れても俳壇全体で育ててゆくという雰囲気はない。
自由詩と俳句のかなり悲惨な状況に比べれば歌壇ははっきりポスト戦後文学に歩み出したと思います。それを歌壇は誇ってよい。俵万智『サラダ記念日』がベストセラーになった時点では一過性と思われていましたがその後はむしろ『サラダ記念日』が無意識的突破ではなかったかと思われるほど意識的な口語短歌・ニューウェーブ短歌――つまり平成短歌が生まれています。この平成短歌を「バブル」といった切り口で論じようとするのは歌人に素朴意味論的な読み方が染みついているからではないでしょうか。俳句も短歌も批評は評釈が基本です。誰がいつどこでどんな体験をして現実の風景をどう詠んだという解釈になりがちです。しかし『サラダ記念日』には当てはまるかもしれませんがその後の多くの平成短歌は評釈的読みでは不十分です。どのジャンルでも〝壇〟の中に埋没できる時代ではありません。
また歌壇がいち早く現代文学(ポスト戦後文学)に踏み出したといっても先行きは不透明です(先駆者の栄誉はあります)。ただいわゆる平成短歌もそろそろ第二段階でしょうね。自由詩のように比較的長い表現でも詩では最初の一歩が生涯まとわりついてきます。八〇年代平成短歌に影響を受けた若い世代が歌集を出し始めているわけでそこでの成果が将来の試金石になる可能性があります。歌集を出せばもう後戻りできない。前方に広がる表現の難しさと厳しさが目に入ってくると同時に歌集を出す力のない仲間は切り捨てられてゆく。一種のプロ平成短歌歌人集団が形作られるかもしれません。
アルツハイマーの脳とわたしのすき間に子どもすべり込んで来る見て走り出す
さよならはあおぞらに取って代わられて今日のわたしは人よりも鳩
わたしが建てる日暮里駅の階段のどこで手すりを終わらせましょう
平成五十年のぼくらは 点字ブロックにおくれて蛇行する地下歩道
フクシマが鎮もればそこには岩が置かれるだろう 何と彫りますか?
質問は聞こえないけどえんとつの影でわたしを指さしている
(斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』)
ちょうど寺井龍哉さんが「死者を生きる試み-新海誠と斉藤齋藤(後編)」を書いておられたのでそこから斉藤さんの歌を六首引用しました。斉藤さんは最も過激な短歌を書いておられる作家の一人です。きちんと五七五七七になっているのは最後の「質問」だけでしょうね。作家が「これは短歌である」と宣言しなければ従来の決まり事では短歌と呼べない作品も多い。自由詩の作家が短歌や俳句を書くと斉藤さんのような作品になりがちです。自由詩の書き癖では定型に収まりきらないのです。その意味で自由風の短歌風作品だと言えます。
これらの歌を現実の反映として実感的に読むことはできません。「すき間」「代わられて」「どこで」「蛇行」「影で」といった言葉が作家の創作姿勢を示しているでしょうね。簡単に言えば実感であろうと感情・思想であろうと何かをストレートかつ決定的に表現することを避けている。その意味で作家の力量評価はペンディングされる。好意的に言えば言葉を読むこと自体の言語体験を表現している詩だと言えます。入沢康夫は「詩は意味の伝達の表現ではない」と言いましたが斉藤さんの詩にも当てはまるでしょうね。
ただ平成短歌(口語短歌)が斉藤さんのような表現を生むのは必然だったと思います。初期の平成短歌歌人は生粋の歌人が多かった。たとえば俵万智は幸綱門であり穂村さんはある種の短歌オタクです。伝統短歌とは何かを知りながら口語短歌を生み出した。しかし結果として彼らの歌は短歌の門を大きく広げた。それは一度は従来的文脈での短歌形式の破壊にまで進まなければ済まないと思います。短歌文学の王道を知りながらそれを外した短歌が平成短歌と呼ばれたわけですが初期世代の試みを拡大解釈した世代が大手を振ってさらに自由な表現を始めたわけです。
歌人は五七五七七でなければ短歌ではないと言うことができます。その逆に理念があれば定型を崩してでも「短歌である」と主張できる。このポイントからどんな成果を生み出すのかが正念場です。短歌は自由な表現と捉えた第二第三世代の平成短歌歌人たちが形式ではない短歌文学の姿を明らかにできるのかそれとも短歌文学を外れて自由詩や小説の世界に進んでゆくのかあるいは短歌形式の特徴に気づく(回帰する)のかはまだわかりません。どちらに進むにしても楽しみです。ただ新しい平成短歌世代が手をつないで一斉に同じ方向に進まないことだけは確かです。道は必ず割れる。
また斉藤さんの短歌は量産できないタイプの作品です。決定的な何事も表現せず斬新な言葉の組み合わせと語感だけで表現を組み立ててゆくのは簡単ではない。初期の口語短歌と比較しても新しい作品ですが蕩々たる短歌メインストリームの実感短歌に棹さすためには作品量産が求められます。多作は作家が自己の表現に確信を持っていることの表れであるからです。そして多作を始めれば今のような珍しさの執行猶予は失われる。今のところ平成短歌は短歌文学全体における奇貨居くべし的アクセントに過ぎないわけですがメインストリームに取って代わるだけの現実的度量と理論と作品が求められます。
短歌や俳句はなんらかの形で初心者を取り込まなければ文学ジャンルとして一定の力を保ってゆくのが難しい。完全に作家の個性に立脚した短歌はアリですがそういう質の短歌は座の文学にはなり得ません。短歌・俳句の世界では結社ごとの歌風・俳風が一種のセクショナリズムとして弊害になっていると捉えることもできますが時代ごとに歌風・俳風が変化してゆくのが短歌・俳句文学の健全性だとも言えます。俳句は変化を拒否していますが短歌界では可能でしょう。そういうったダイナミズムさえあればなんらかの形で座(結社)的形態が残ったとしても問題はないかもしれない。
もちろん第二第三世代の平成短歌歌人たちが寡作でも「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」(安西冬衛)といった時代表現を生み出す可能性もあります。これが詩なのか俳句なのか短歌なのかは作家の宣言次第です。要するに結果がすべてでそれはいつの時代だってずっと先にならないと評価できない。ただ斉藤さんが注目の歌人であり歌壇が新たな才能を育てることができる土壌であるのは確かです。
高嶋秋穂
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■