山本俊則さんの美術展時評『No.065 『禅-心をかたちに-』展(後篇)』をアップしましたぁ。禅は理論的に説明しようとすると、とても難しい宗教というか認識体系になってしまいます。ただその本質は真理の直観把握にあります。撞着的な言い方になりますが〝真理〟と〝直観〟が結びついていて、かつそれが本当に真である必要がある。面倒といえば面倒な宗教なのですが、理解できる人には論理で説明する必要のない、基本的には平明な宗教です。
つまり禅の悟りとは、この世は無であり、無から有が生み出されることの直観把握である。無に安住することはできず、無と有の間を往還する修行そのものが悟りなのだ。禅の遺物が生々しいのは、禅が抽象的な浄土といった悟りの境地に安住することを認めていないからである。禅者はあくまで現世の猥雑の中に生きるのであり、その汚濁が極まれば極まるほど、底に横たわる無の直観把握が強まるという逆説を生きている。だから禅者の言葉は一筋縄では解釈できない。
(山本俊則)
山本さんの批評にあるように、禅の高僧はかつて悟りを開いた者、あるいは悟りとは何かを直観的に把握した者ということになります。悟りの中にずっといる聖者ではないので、市場で飯を食い糞をする普通の人として生きています。それゆえまあ、エセ禅者を生みやすいという弊害がありますが、これはまあどの宗教でも同じですね(爆)。文学者で言えば夏目漱石は明らかに禅者の一人でした。悩み多い人の方が救済に近いというのは一面の真実です。
■ 山本俊則 美術展時評『No.065 『禅-心をかたちに-』展(後篇)』 ■
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