『臨済禅師一一五〇年 白隠禅師二五〇年遠諱記念 禅-心をかたちに-』
於・東京国立博物館
会期=2016/10/18~11/27
入館料=1600円(一般)
カタログ=3000円
『一休宗純墨跡のうち七仏通戒偈』
紙本墨書 縦一三三・三 横四一・三 室町時代 十五世紀 京都・真珠庵蔵
『一休宗純墨跡のうち遺誡』
紙本墨書 縦三三・四 横六一・七 室町時代 文明十三年(一四八一年) 京都・真珠庵蔵
禅の精神を最も良く体現するのが室町時代の高僧・一休宗純かもしれない。『七仏通戒偈』は釈迦以前に存在した六人の仏と釈迦が共通して説いたと言われる教えを一休が揮毫したものである。「書は人なり」とは確かに真実で、意味はわからなくてもこの書を見れば、一休禅師がどのような人だったのかおぼろにわかるだろう。誇り高く極めて剣呑、型破りだが禅を極めた高僧である。出自は後小松天皇の御落胤と言われる。
『遺誡』は弟子の睦室紹睦に与えたもので、弟子が守るべき師の教えである。一休は自分の死後にその禅を人々に説く者は「仏法之盗賊」であり「我門之敵」であると書いている。これも禅ならではの逆説的教えである。要するに自分一人で悟りを得よ、悟りを得るための決まった道筋などないのだということである。実際一休は平然と肉食し、男色、女犯、飲酒と仏教徒の戒律を破った。しかし御土御門天皇を始めとする貴顕が深く帰依する高僧だった。現世の規範を超えることはどの禅僧もやっているが、一休は極端だった。
禅は無を中心に据える宗教だが、無は何もないという意味ではない。修行者は厳しい坐禅などによって意識を下降させ、現世の繁栄の奥底に無が存在することを見出す。それが向下道と呼ばれる悟りの往路である。無は虚無である。しかしそれは名付けようのない巨大なエネルギー総体でもある。悟りとはまず現世は無であることを確認する作業であり、それを終えると禅者は無――人間意識の無でもある――から自己の意識を取り戻さなければならない。向上道と呼ばれる悟りの帰路である。その過程で禅者は無が分裂して現世の繁栄が生み出されるのをまざまざと見る。ほぼすべての禅の高僧が同じような体験を語っている。
つまり禅の悟りとは、この世は無であり、無から有が生み出されることの直観把握である。無に安住することはできず、無と有の間を往還する修行そのものが悟りなのだ。禅の遺物が生々しいのは、禅が抽象的な浄土といった悟りの境地に安住することを認めていないからである。禅者はあくまで現世の猥雑の中に生きるのであり、その汚濁が極まれば極まるほど、底に横たわる無の直観把握が強まるという逆説を生きている。だから禅者の言葉は一筋縄では解釈できない。
有名な禅の教えに、「我悟りを得る前に山を見れば山これ山、海を見れば海これ海、悟りを得て後山を見れば山これ山の如し、海これ海の如し」がある。現世的規範に縛られている者には山は動かしようのない山にしか見えず、海は海にしか見えないが、悟りを得た者には山は山のようなもの、海は海のようなものに見えて来るということである。その背後には巨大な無が横たわっている。東日本大震災などを思い起こせば、禅の言葉が現実世界に密接に結びついていることがわかるだろう。禅は密教などよりも遙かに現世宗教である。
『達磨像 白隠慧鶴筆』
紙本着色 縦一九二 横一一二 江戸時代 静岡・清見寺蔵
日本臨済宗中興の祖と言われる白隠慧鶴の達磨像である。白隠は江戸中期の静岡の禅僧で、禅の普及に尽くした。達磨像といっても白隠のそれはどことなくユーモラスである。そこにも日本における禅の変遷が表れている。白隠の時代は江戸の泰平の世が始まっていた。室町時代までの禅の厳しさは影を潜め、その代わりに禅のもう一つの特徴である諧謔が前面に押し出されている。
禅の教えは戦乱の世に人々の心を捉えたが、現世を無の一如で見るその姿勢は基本的に絶望的な虚無主義である。ただこの虚無主義は笑いと紙一重なのだ。禅の無の認識は深く、絶望の淵で泣くといった心性を通り越してしまう。もう何も失うものがない、もうここまで辿り着けば生き詰まりの絶望だという認識は、あっけらかんとした、時に猥雑でもある哄笑を生む。この禅の諧謔が西脇順三郎や永田耕衣といった、無を認識の中心に据える文学者の作品を生み出した。
なお白隠は生涯に三十六回悟りを開いたと言っている。禅者が悟りの境地に安住できない宗教であることがよくわかるだろう。白隠は現世に帰ってきて、あくまで現世の人として、現世の人々にわかりやすい言葉と禅画で悟りの境地の必要性を説いたのである。
禅の発祥の地であるインドはもちろん、中国でも禅宗は廃れたが、日本では現代に至るまで脈々とその精神が息づいている。ユダヤ・キリスト・イスラーム教という唯一の人格神を持つセム一神教と比較すれば、日本人の心性は無神的に見える。しかしその多くが禅的な心性を持っているのだとも言える。神仏は形式的にしか礼拝せずその存在を心からは信じていないが、現世は無と紙一重であり、無と有の往還だという認識はなじみ深い。禅は虚偽や不正を含めた現世を裸眼で見つめ、そこからの精神の超脱、つまり救いを希求する宗教的心性である。悲惨な現世からの逃避ではなく、あくまでどうしようもない現世を踏まえ、それを達観できる心性を求めている。
『円相図 白隠慧鶴筆』
紙本墨画 縦四六・八 横五五・六 江戸時代 十八世紀 東京・永青文庫蔵
白隠禅師の円相図である。古来禅では悟りの境地やその目標を、円で表現することが多い。白隠の円相もその一つである。ただ賛には悟りとは縁遠い「遠州浜松よい茶の出所、むすめやりたや、いよ茶をつみに」という当時の茶摘歌が書かれている。平時の調和を尊ぶ円相の解説とも読めるし、まじめくさった悟りを茶化す諧謔とも解釈できる。いずれにせよ禅の絵も言葉も、一瞬の無と有の往還である悟りを逆説で表現することが多い。本当はこういった絵を壁に掛け、これはなんだろうと、目に焼き付けて考え始めるのが最も禅的である。
イスラーム学者で東洋的無を初めて構造的に解明した哲学者・井筒俊彦の父親は禅者だった。子供の井筒少年に「無」の一字を書いた墨書を与え、「目に焼きつくまで覚えよ」と命じた。「覚えました」と少年が答えると、「そうか」と言って書を破り捨てたのだという。井筒は父親について、矛盾多い人で悩み多い人だったと回想している。ただ井筒の回想から優れた禅者だったことがわかる。無と有の往還は論理的には絶対に不可能だが、真理の直観的確信が禅者に論理を超えさせるのである。(了)
鶴山裕司
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