大学文芸誌はその言葉のとおり、特定の大学(あるいはその直轄外部組織)によって編集・刊行されている文芸誌である。「三田文學」「早稲田文学」「江古田文学」は一般流通に乗っているので大規模書店なら手に取ることができる。もちろんこのほかにも大学内でのみ頒布されている大学文芸誌はたくさんある。
大学文芸誌である以上、雑誌が在校生と卒業生を重用するのは当然である。学内で文学を志す学生に発表の場を与えてやり、卒業して社会(いわゆる文壇)で活動する作家たちをチアー・アップするわけである。これは大学文芸誌には欠かせない刊行目的である。
ただ一般流通に乗せて販売している大学文芸誌の場合、それ以上の刊行目的が求められるのもまた当然のことだ。〝文芸誌としてどう文学の世界に寄与してゆくのか〟というのが二つめの刊行目的になる。ただこれがなかなか難しい。
どの大学文芸誌も大学とのしがらみがあり、また在校生・卒業生以外のフラットな視線を持つ専門編集者を編集人にする余裕はない。勢い、視線が内向きになる。また既存の純文学誌や大衆文芸誌の誌面構成をなぞりがちになる。それは仕方のないことではあるが、そういった型を超えた何事かを対外的にアピールできるかどうかが大学文芸誌の課題となる。
簡単に言えば、身内を重用し過ぎれば文学界の〝公器〟雑誌の一つとしての要件を失うことになるし、公器としての文芸誌の路線を取れば、他の文芸誌よりどうしても質が落ちてしまうわけである。この難しいバランスを取らなければならないので、大学文芸誌の編集は意外と難しい。そのため現状では、大学文芸誌特有のアポリアには目をつぶり、時に身内主義、時に公器ジャーナリズムとして、曖昧な編集方針で雑誌が刊行されることが多い。
ただ曖昧な編集方針を採っている限り、商業文芸誌として刊行される大学文芸誌は、他の商業文芸誌を補弼する下部組織の位置を抜けられないだろう。下世話な言い方をすれば、大学文芸誌は有名文芸誌への足掛かりの位置付けになってしまう。これはこれで、ある種の作家たちにとっては重宝なことである。ただ編集する側にとってはあまり面白くあるまい。
世の中は情報化時代である。今まで曖昧な位置付けだった大学文芸誌の編集方針も、だんだんと白日の下にさらされるようになる。まずは〝身内〟と〝公器〟の区分を誰の目にもわかるようにするのも一つの方法かもしれない。そうすれば、少なくとも大学文芸誌が本当はわかっていて、だけど誰も言い出せなかったモヤモヤが霧散するだろう。
■ 三田文學とは(発行・三田文学会 発売・慶應義塾大学出版会 季刊) ■
アメリカやカナダにも、大学雑誌は数多くある。雑誌として学生の作品のみを載せるばかりではないのが普通だが、いわゆる日本の「文壇」と大学とを結ぶ役割を果たし、それを伝統として持っているという点は、特異といえる。
三田文学は、その「文壇」とはどういう場であるかについて「学生に教育」するというスタンスであるらしい。日本の「文壇」そのものである文學界(文學界の項、参照)とのパイプは、最近の誌面で顕在化するようになった。以前は文學界誌上で行われていたという同人雑誌批評が三田文学に移り、そこで取り上げられた作品が年二回、文學界に掲載されるシステムが構築されている。「文壇」の下部組織としての立場を、このようにはっきり打ち出している大学雑誌は他にない。
日本では公器と呼ばれる「文壇」というものの下部組織であり、三田文学が教育すべき学生もまた、慶應義塾大学生にかぎらない。想定する読者、つまりは文学と創作について啓蒙すべき「学ぶ人」たちに、学歴を問わず門戸を開いている。
一方でやはり大学雑誌として、慶応義塾関連の記事が多い。執筆者の中には卒業生で三田文学でしか見かけない書き手も目立つ。出身者であり、かつ「文壇」などで名の通った人物を取り上げ、特集するのは当然でもある。
金魚屋プレスが三田文学に期待することは、このようなダブル・スタンダードをさらに意識的に行うことだ。三田文学にだけ許された、伝統的な「特権」ではなく、理性と見識の産物としてより先鋭的に行うことだ。それによって、他の大学雑誌の編集姿勢をより明確化させることを助け、大学雑誌相互の連携を生み出すことになる。
大学雑誌には、商業文芸誌にはない特徴がある。書き手を目指す学生たちへの目に見える「教育」の側面である。それは既存の何かの「下部」であったり、ましてや「恥部」であったりはしない。日本の今の状況において、文芸誌なるものに関心を持つのは、およそ「書き手を目指す」人々以外にはあり得ない。年齢に関わらず、彼らはすべて「学生」だ。
三田文学に織り込まれている広告や、イベントの企画を見るかぎり、三田文学はしかし慶応義塾大学の卒業生たちによって支えられ、彼らを読者=圧力組織として意識せざるを得ないようだ。大学からの補助金もあるのかもしれない。また彼らが認める、彼らの中でのスターを育ててゆく必須の使命があるのかもしれない。そのための「養育パイプ」として、「文壇」に対する「三田の特権」を手放すことは考えられないのだろうか。
だがそれは編集部の意識の問題だ。たまたま慶応出身者である文壇周辺人たちの「互助会」であり続けることを、世に聞こえた「慶応人」のプライドが許しているのは不思議だ。
金魚屋プレスは、三田文学には崩壊しかけた権威の下部組織としてではなく、文学=啓蒙=教育機関としての大学雑誌の「王者」と呼ばれる存在として、「文壇」というものを再編してもらいたい。今こそ彼らの「三田の伝統」に立ち返るときだろう。
■ 早稲田文学とは(早稲田文学 早稲田文学会 不定期刊) ■
早稲田文学は以前、月刊の薄い雑誌だったという。早稲田学内を中心とし、外の著者も招待するミニコミ=商業誌であった。現在のようにさまざまなスタイルの文芸誌があるとき、そのような雑誌の存在感は薄れてゆくだろう。
早稲田文学のあり方の変遷は、文芸ジャーナリズムそのものの変遷を示して興味深い。現在、早稲田文学は不定期刊である。めったに出ずとも、出たときにはカラー表紙の、たいへん目につく分厚い雑誌になっている。
このことは、月に一度または年に四度に切り分けて「文学の状況」と「成果の進捗」を伝えるという、従来の文芸誌の制度に対する疑義申し立てになり得る。
三田文學が「文壇」と読者(=学生=書き手)を結ぶ装置としての大学雑誌であるのに対して、早稲田文学は「文芸ビジネス」と読者を結んでいるように思える。ビジネスとは、その収支にかかわらず実際的なものだ。
早稲田文学の書き手の並び方は、既成の文学的価値観のみならず、自らを権威的に装う雰囲気とも無縁に見えるときがある。
もしかすると、それは特に意図されたものではなく、錯覚かもしれないが、その一瞬には新しい可能性を感じる。
金魚屋プレスが早稲田文学に期待するのは言うまでもなく、この可能性の正体を露わにしてもらいたいということだ。文学が重苦しい雰囲気をまとわず、しかし軽さを強調することもなく、ただ書き、読むことにおいてビジネスライクになり得ることの清々しさを。
それは一方で、では何のために出しているのか、という問いかけにも繋がる。たとえ権威へのつまらない思い込みであっても、まったく何もないより、動機づけとしては説得力を持ち得ることがある。
編集後記を見ると「また刊行の間隔が空き、そのぶん分厚くなってしまった…」といったことしか書かれてはいない。まるで時間が経つにつれ、掲載原稿は機械的に溜まってゆく、とでもいうように。
大学雑誌としての伝統、という答えでは、どこか挑戦的なこの雑誌のたたずまいにはそぐわない。0号、1号から5号、別冊と、一年半もの間隔を空けながら、出すたびにしっかりと読者の手に取られ、純粋に「読まれること」を意識しているのなら、大学雑誌の域を超えた、勇気ある文芸誌の試みと言えまいか。
早稲田文学には、私たちのために、その辺りのことをもっと明らかにしてもらえないだろうか。
薄い雑誌であった従来の早稲田文学は、WBというフリーマガジンに受け継がれたようである。従来のたたずまいでは「販売」を放棄したというなら、やはり明確な「ビジネス」意識が働いているように思えるが。
■江古田文学とは(江古田文学会 年三回刊)■
日本大学芸術学部文芸学科から刊行される大学雑誌である。学生に発表の場を与え、人材育成を目的とすると明記されている点で、三田文学や早稲田文学といった文芸誌の範疇に入るものとは異なるだろう。しかしながら書き手のすべてが学生というわけではなく、また一般に流通されているという点で、ぎりぎり文芸誌と呼べる性格を備えている。
江古田文学の造本は、しかしむしろ三田文学、早稲田文学よりオーソドックスな文芸誌の体裁に近い。厚みも適当で、今の文芸誌らしくグラビアなどもほどよく配されている。大学雑誌として、いわゆる「文芸誌の型」をきちんと「履修」している。
三田文学、早稲田文学が大学の教育課程と一定の距離をおいているのは、文芸創作を専門とする学科がないことが要因だろう。日本はアメリカと状況が異なり、そのような学科はまだ珍しい。しかしそういった学科があろうとなかろうと、文学部を中心に他学部にも創作を試みる学生は必ずいる。彼らは各々で専門の学業を修めながら、主に学生たち同士で研鑽を重ねるが、その成果が在学中に社会的認知に至ることは、年齢的にも難しい。慶応義塾大学や早稲田文学の創作を志す学生たちの大半は、三田文学や早稲田文学を横目で見つつ卒業し、他誌で一定の評価を受けた後に、書き手としてそこへ戻ってくる。こういったあり方は、「他人の釜の飯を食う」とか「我が子に美田を残さず」とか、あるいは「武士は食わねど」といった日本的な価値観や倫理学、美学を思い起こさせる。
また「文学は男子一生の仕事にあらず」といった言い方もある。日本の近代文学は漱石・鷗外に始まったが、彼らの創作活動以外の職業に対するストイックな態度も影響を与え続けているのかもしれない。合理主義では説明しづらいが、日本人が文学者を否定しているのではないと思う。生半可な気持ちで筆を取り、生業を疎かにすることを戒めたものだろう。このような価値観において、公の教育機関である大学が学生を創作に駆り立てるようなことはあってはなるまい。たとえ大人が止めても、書く学生は書くし、素質があれば卒業しても書き続ける。それがハシカのような創作熱ではなかったと証明されたら認可してやる、という姿勢は、例は悪いが、フランスの売春婦認可制度と似ている。いずれも古い歴史を持つ国の考え方だ。
しかし「書くこと」も一つの技術であるとすれば、それを教育するのに躊躇する理由はない。効率的に教えれば、独学よりも早く成果が上がるとするのは、アメリカ的な考えだろう。そういった促成栽培を嫌うのは、むしろ創作の神話を信じているからで、アメリカの大学における「クリエイティブ・ライティング」コースは単に「テクニカル・ライティング」と並ぶ実務的なものに過ぎない。
合理的な教育がそれなりの成果を上げることは、日本大学芸術学部文芸学科が輩出する人材でも示されていよう。江古田文学はその日本最古のクリエイティブ・ライティング・コースと切り離しては考えられない。
金魚屋プレスが江古田文学に期待することは、創作教育の合理性に対する自信を、もっと誌面から打ち出してもらいたい、ということである。それは日本の文学の業界に未だはびこる、ある種の神話を一掃する力になり得る。同時にタブーを破る勇気と喜びを学生たちに「教育」する絶好の機会となるだろう。
斎藤都
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■