山本俊則さんの美術展時評『No.054 生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠 (後編)』をアップしましたぁ。黒田清輝は貴族院議員なども務め、日本の美術教育に多大な貢献をした画家です。遺言に基づいて上野の東京国立博物館のすぐ近くに黒田記念館(現・東京文化財研究所)も建てられました。しかし画家としてはイマイチ有名ではないんだなぁ。
元々素直な性格だったのか、本場の油絵を学び吸収しなければならないという使命感ゆえか、清輝は師コランの教えをほぼ絶対として受け入れていた。しかし師と自己との資質の違いをはっきり認識し、画家として独立不羈の画風を打ち立てるという強い自我意識が欠けていた。清輝の絵は必ずしもコランの影響ばかりでなく、「外光派」と呼ばれるにふさわしい明るさを備えていた。だが彼の資質をさらに伸ばすことができる印象派の技法を取り入れ、それを軸に日本の洋画独自の表現を確立するまでには至らなかったのである。
(山本俊則)
絵や音楽は人間の感性に訴えかける芸術であり、黒田清輝大好きといふ方もいらっしゃると思います。ただま、石川はおおむね山本さんの批評に賛同だなぁ。黒田の印象派的画風は『外光派』と呼ばれ、高橋由一らのそれは旧派とか『脂派(やには)』と呼ばれたわけですが、今になるとどっちの影響が重要だったのかは微妙なところです。岸田劉生だって、脂派と言えば脂派的ですものねぇ。
山本さんが書いておられますが、明治は十年単位で状況が大きく変わります。明治二十年代にはダントツの新鋭画家だった黒田の画風は、三十年代には急速にその影響力を失っていったように思います。そのくらい、当時の日本人はヨーロッパ文化の咀嚼が早かった。ただ黒田さんが優れた画家であるのは確かです。
山本さんは、『画家に限らず、創作者はその最高の作品によって全仕事が評価される。清輝が『湖畔』を描き残したのは幸いだった。この絵が傑作になったのは、やはり対象への強い愛があったからだろう』と書いておられます。ほんと、傑作はすべてを変えるんだなぁ。靉光もまた、ほんの数点の傑作のみで燦然と日本美術史に輝く画家であります。
■ 山本俊則 美術展時評『No.054 生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠 (後編)』 ■
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