小原眞紀子さんの『BOOKレビュー・詩書』『No.021 新倉俊一詩集『王朝その他の詩篇』』をアップしましたぁ。文学金魚で今年2月、3月にインタビューを掲載させていただいた新倉俊一さんの詩集『王朝その他の詩篇』の書評です。新倉先生、矢継ぎ早に詩集を刊行しておられます。自由詩という、内容面でも形式面でも一切の制約がない表現の場合、ティピカルな傑作といふものは存在しません。ある意味で、すべての詩人がもしかすると失敗に終わるかもしれない意欲作を発表しています。それはかなり勇気のいることだと思います。新倉先生、肝が据わって詩の表現を攻める気力が充実しておられるなぁ。実に頼もしいです。
小原さんは、『詩とともに生きる、ということはどういうことか。それがテーマであると言える詩集だと思う。それはプレテクストとともに生きることでもあり、私たちが産まれ落ちた文化の中で生きることでもあり、その両方の意味において死者とともに生きることでもある。(中略)著者は、それを確信している。しかしながら、その確信/核心に極めて緩やかに接近しようとする。欧米詩研究の碩学である著者は(中略)欧米詩の構造においてはくっきりと措定可能な〝詩の可能性の中心〟からいったん距離を置く。それはその魅力、強固さ、そしてその文化的背景を知り尽くしているからこその迂回に相違ない。それは私たちが日本語で書き、さらに日本文化のバックグラウンドの中で書くということへの自意識そのものである』と批評しておられます。新倉俊一先生の『王朝その他の詩篇』は、過去のテキストを渉猟しながら未来へとベクトルが伸びている詩集であります。
短歌・俳句・自由詩といった詩の表現は、簡単で難しいと思います。どの詩形でもある程度の作品数は書けます。でも歌集・句集・詩集をまとめるには高いハードルがある。古典的顔つきの作品を数作書いても、ハチャメチャな作品をちょっと書いても、それでは一冊の本にならない。またある方向性を持つ詩集をようやくまとめても、その方向性が間違っていたり揺らいだりすると、継続的に書き続けることができない。作品を量産し始めたことから見ても、新倉先生はご自身の表現のための金脈を発見されたやうですね。
■ 小原眞紀子 『BOOKレビュー・詩書』『No.021 新倉俊一詩集『王朝その他の詩篇』』 ■
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