詩とともに生きる、ということはどういうことか。それがテーマであると言える詩集だと思う。それはプレテクストとともに生きることでもあり、私たちが産まれ落ちた文化の中で生きることでもあり、その両方の意味において死者とともに生きることでもある。
冒頭の詩篇から「生と死の/均衡のまなざし」(『王朝」)と述べる著者は、それを確信している。しかしながら、その確信/核心に極めて緩やかに接近しようとする。欧米詩研究の碩学である著者は恐らく、むしろだからこそ欧米詩の構造においてはくっきりと措定可能な 〝詩の可能性の中心〟からいったん距離を置く。それはその魅力、強固さ、そしてその文化的背景を知り尽くしているからこその迂回に相違ない。
それは私たちが日本語で書き、さらに日本文化のバックグラウンドの中で書くということへの自意識そのものである。欧米詩を研究し、日本の近代詩の成立を担った西脇順三郎の弟子であり、また戦後詩のモダニズムを体現した田村隆一をつぶさに見てきた著者において、その問題意識が長年の間に醸成されたのは自然なことだ。
詩篇は、源氏物語の登場人物たち、その著者や日記の考察から始まる。日本文化の歴史的ルーツはもっと遡ることが可能だろうが、それは研究の域を出ない。私たちが読み、書き、暮らす感性の根源というより大まかな概形は、源氏物語に最初に、そしてほぼ完全に表れている。源氏物語の登場人物を考察することは、現代の私たちを考察するのと変わらない。
同時に彼らはテキストでもある。つまり彼らこそは日本文化そのものでもある。物語の登場人物でもある彼らは当然、物語=生に閉じ込められてもいる。「生と死の/均衡のまなざし」は持ち得ないが、それを可能にするのは詩への接近であり、日本文化の相対化=モダニズムでもあるだろう。「生と死の/均衡のまなざし」とは、あるいは西欧と日本とをひとしなみに見比べるまなざしでもあるかもしれない。
日本の物語の登場人物にとっての詩は歌であり、源氏物語=日本文化は歌物語として表徴されている。この詩集のタイトルは『王朝その他の詩篇』だが、王朝=歌物語からいかにして私たちの近代的自我が抜け出してゆくのか、その道行を語る詩篇でもある。タイトルは、それをごく控えめに言い表したものだが、それというのも私たちの近代的自我の行き着く先が「生と死の/均衡のまなざし」だとするなら、結局は「生と死の」あわいに漂い続けことに他ならない。そして、それこそが文学の特権そのものでもある。
研究書ではない創作物は、あらゆる方途、手法を通して文学の特権を具現化しようとする。そこにはもちろん、著者の実人生のエピソードも含まれて、それは実人生そのものではないかもしれないが、だからといって真実が含まれていなくても許されるわけではない。とりわけ詩においてはそうである。詩とともに生きることには詩人との出逢いもあり、今は亡き田村隆一と鮎川信夫が現われるに至り、著者が紛れもなくユニークなある時代、すなわち戦後詩の時代から現代を生きてきたこともわかる。
近代的自我=モダンの行き着く先をエズラ・パウンドのペルソナ手法とするなら、私たちは詩を書くこと/読むことにおいて二重のペルソナ=仮面をつけるのだ、と言える。一方では近代的自我の、もう一方では日本語への翻訳という。言うまでもなく、それらは同じ源であり、ただそれを辿ることで、やはり行き着く先は「生と死の」あわいとしか言いようのないところだ。逆に言えば、その私たちの故郷こそが、パウンドが異文化に見い出し、欧米文化に属するテキストにおいて、まさにテキストの力で現前させようとしたものだ。
それらのすべてがある意味、碩学としてではなく、詩とともに生きてきたことによって眺められる。出逢い、すれ違ってきたテキストと詩人をゆっくり振り返るように、詩と生きた過程を何の外連味もなく解き明かす語り口は、それ自体が素顔でもあり、やはりテキストそのものという二重のペルソナでもある。
小原眞紀子
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