高島秋穂さんの詩誌時評『No.016 角川短歌 2015年06月号』をアップしましたぁ。角川短歌さんは、『第49回釈迢空(しゃくちょうくう)賞選考委員選評』『短歌賞を考える-第49回 釈迢空賞「該当作なし」を受けて』をお組みになっています。賞に該当作がないことはしばしばありますが、角川短歌さんの場合、〝これを機会に賞について考えてみよう〟といふ趣旨の特集を組んでおられます。
ん~ん~言いにくいですが、角川さんのエンタメや小説編集部がそーとーに厳しいことは、ちらほら石川の耳にも入ってきます。でも角川短歌だけ、ちょいと例外的に見えてしまふんだなぁ。実際、短歌と俳句は日本古来の定型詩であり近しいところがありますが、角川短歌と角川俳句ではぜんぜん編集方針が違います。角川俳句は短歌ほどリベラルぢゃなひなぁ。
高島さんは、『今のように文学業界全体が不況に入った時代には歌壇のリベラルさは貴重です。他のジャンルでは歌壇のように賞の選考委員が賞に対する自らの意見を述べたり歌人が自由に賞について論じるという風土すらありません。賞はどうしても権威と結びつきやすいのでそれについて意見を述べるのはとても難しいことです。しかしだからこそ賞の性格によって各ジャンルの風土性が露わになるところがあります。現状では歌壇の頭抜けたリベラルさが新たな文学潮流を起こし他ジャンルにも進出する優れた作家を生み出す可能性が最も高いでしょうね』と批評しておられます。石川も同感です。
石川は、やれと言われればビジネス書から文学関連の雑誌・書籍まで編集することはできますが、自由詩の雑誌と俳句は気が進まなひです。自由詩はどう頭をひねっても、業界を盛り上げるための手立てが思いつかなひ。月刊谷川俊太郎ぢゃ持たないし(爆)。俳句はあまりにも結社的なしがらみが多すぎるです。でも短歌雑誌は単純に面白そうだなと思います。面白そうだなって思えるの、けっこう大事なことでふ。
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■ 高島秋穂 詩誌時評 『No.016 角川短歌 2015年06月号』 ■