今月1日にアップした『金魚詩壇 討議&インタビュー No.006 安井浩司 永田耕衣を語る』関連コンテンツです。鶴山裕司さんの『No.005 安井浩司〈前衛俳句論〉(下編)』をアップしました。下編では安井文学について論じておられます。
安井文学の構造において自我意識は能動的に活動する主体ではなく、自我意識(俳句)が生み出す形式(定型)、すなわち作品をただ眺めているのである。安井の希薄な俳句主体は生き物のように蠕動しながら俳句作品を生み出し続けている。形式(定型)はあると言えばあるし、ないと言えばない。ただそこから生み出される俳句の言語的リアリティは、俳句文学がかつて経験したことのない質のものである。俳句文学の前衛の最前線は安井とともにあると言って良い。
と、鶴山裕司さんは批評しておられます。鶴山さんは石川へのメールで、『4年前の墨書展から安井文学について腰を据えて考え始めたんですが、ようやくスコープにロックオンできたという実感があります』と書いておられました。安井さんを中心とした前衛俳句論といふばかりではなく、優れた日本文化(文学)論にもなっていると思います。じっくりお楽しみください。
廻りそむ原動天や山菫
鵺一羽はばだきおらん裏銀河
天文の明るさに在り冬すみれ
揺れるのみ働きもせず至高百合
祖父の背に蓮華をうつす幻燈や
千社札人影もなく増える秋
未明ふと月から白魚零れたり
万象の母のかたちや臼きのこ
浮上して下に見えるや冬銀河
天動の臼茸ひとつ回るかな
(安井浩司句集『宇宙開』より 鶴山裕司選)
■ 【安井浩司 永田耕衣インタビュー関連論考】『No.005 安井浩司〈前衛俳句論〉(下編)』 ■