池田浩さんの文芸誌時評『No.007 Papyrus (2015年04月号 Vol.60)』をアップしましたぁ。『Papyrus』は幻冬舎さんが出版しておられるライト小説系の文芸誌です。池田さんは『「作家」が「ブンガク」の雰囲気を表象するアイコンなら、物を書くということはその理由付けにもなり、口実にもなる。どんな時代にもそのイメージを担ってきた者はいたし、当初は作品が作り出すイメージに責任を持つということだったろうが、いずれ逆転し、求められるイメージに沿う作品が作家の小道具となってゆく。それはしかしもちろん、作品に力がないからだ』と手厳しいことを書いておられます(爆)。
詩書が売れないのは今に始まったことではありませんが、小説までこれほど売れない時代になると、なかなかモノを言いづらい雰囲気が漂ってまひります。『「作家」が「ブンガク」の雰囲気を表象するアイコン』化している風潮は確かにあります。ヒット作や代表作がなひのに有名賞の選考委員になったり、テレビの良識的コメンテーターとして活躍しておられる作家さんもいらっしゃる。でも皆さん頑張っておられる、足掻いておられると言えばその通りなのであって、これだけ文学を取り巻く環境が厳しければ、何かやって生き延びていくほかない。ブンガクシャ・アイコンとして、それらしひ作品を書いてそれなりに活動していく方がいいじゃんと言われれば、その通りでごぢゃります、はい。
ただま、『Papyrus』さんは毎号芸能人の方を表紙にしておられますが、大ヒットを飛ばしたのは文學界文藝春秋さんでした。ブンガクシャ・アイコンが社会に蔓延する背景には、〝本物の文学〟を求める社会のニーズがあるわけで、その絶妙なバランスがヒットにつながったやうな気がします。又吉直樹さんの『火花』の大ヒットは、ブランド力の勝利でもありまふ。『Papyrus』さんを読んでいると、芸能人が文化業界に触手を伸ばしているといふ感じがしますが、今のところ文學界さんだけが、文学者が芸能人であるといふ文脈を作ることがでけるんですなぁ(爆)。
■ 池田浩 文芸誌時評『No.007 Papyrus (2015年04月号 Vol.60)』 ■