鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第34回 ロベール・クートラス賛(前編)』をアップしましたぁ。ロベール・クートラスは1930年(昭和5年)にパリで生まれ、1985年(昭和60年)に55歳で亡くなったフランスの画家です。今年の2月から3月にかけて、東京の渋谷区立松濤美術館で『ロベール・クートラス展 夜を包む色彩』展が開催されました。クートラスの「包括受遺者」である岸真理子・モリア氏のコレクションです。不肖・石川も図録を見ましたが、尋常ではなく素晴らしい画家です。
鶴山さんは「こんなに素晴らしい画家がいるとは思ってもみなかった。学生時代から現在までの三十年間ほどの間に見た美術展の中で、間違いなく最高の展覧会だった。もちろん音楽と同様に美術も感性に訴えかける芸術である。クートラスが最高の画家だというのは、あくまで僕にとってである」と書いておられます。相当な入れ込みようですね(爆)。でも彼の目は恐らく正しいです。鶴山さんと美術展時評を連載しておられる山本俊則さんは、不肖・石川の骨董と美術のセンセですが、彼らの美術を見る目はとっても正確です。まったく世間の権威的評価に惑わされずに面白い作品を見つけてこられる。
鶴山さんはまた今回の展覧会について、「僕らは岸氏に導かれてまずクートラスの本質を、その激しい表現衝動がストレートに表現された作品を見たのである。しかし画廊を通して売られた作品は、今もパリを中心とするコレクターの元にあるだろう。・・・そのような作品を一堂に集めた展覧会が開かれれば、僕らはクートラスに再び驚かされることになるのかもしれない。・・・僕らは、まだ彼の仕事の全貌を把握していないのである」と書いておられます。こういふところが鶴山さんは信頼できるんだなぁ。公平で正確です。
不肖・石川、人間の能力の差なんて紙一重だと思っています。天才などと呼ばれている人でもよく内実を探ってみると、天から与えられた特権的才能などほんのちょっとだったといふことがわかります。要は努力――芸術家なら自分の表現ジャンルにどれほど真剣に取り組んでいるかに尽きます。それは美術を作る人もそれを見て批評する人も同じです。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第34回 ロベール・クートラス賛(前編)』 ■