金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.030 100万回生きたねこ 佐野洋子著』をアップしましたぁ。2010年にお亡くなりになった佐野洋子さんの名著です。金井さんのレジュメを引用すると、「100万回生きたねこは100万回死に、そのたびに生き返った。100万人いた飼い主はそれぞれ、ねこが死ぬと泣いたが、ねこはその飼い主の誰もが嫌いで、一度も泣いたことがなかった。・・・100万回生きたねこは結局、白いねこに恋して、たくさん子供を作り、白いねこが死ぬといっぱい泣いて死んでしまう。二度と生き返りませんでした、というストーリーだ」といふ内容です。
金井さんは「一度も死んだり、生き返った経験のない我々が、100万回生きたねこに既視感を抱くのは、我々の生がどこかでこの100万回の生と相似だからである」と書いておられます。たいていの人間は100万回生きたねこと同じだと言っていいでしょうね。人間は基本、エゴにまみれています。要は自分のことしか考えていません。他人の好意は当たり前のこととして受け取り、別に感謝もしない。むしろ他人は嫌いで、世界中の人が自分をちやほやしてくれればいいのに、それが当然のはずななのにと思っている。石川はちょいと誇張していますが、人間の本性にはそういうどうしようもないエゴが渦巻いています。ですから『100万回生きたねこ』で重要なのは、白いねこの存在です。
「白いねこはたくさん子供を産み、少しおばあさんになる。そしてある日、動かなくなる。ここに至るまで、白いねこには何の性格も、またエゴも見受けられない。ただ存在し、自身を熱心に欲した者を受け入れ、あるがままに老いて死ぬ。それは誰もが憧れるフツーさだが、現実のところはあり得ない。しかしある瞬間、そのようなたたずまいに映る女性はいる」と金井さんは書いておられます。女性だけでなく、そういったふうに映る男性もいるでしょうね。金井さんは〝誰もが憧れるフツーさ〟だと書いておられますが、どうしようもないエゴの塊である人間は、白いねこのような〝フツーさ〟を持てる可能性がある存在でもあるわけです。
金井さんは、「虚しい100万回の生こそがフツーのリアルだ。そんな日々をおくる我々は、すでに死を内包したかのような、しずかな存在である白いねこを夢見て、それと触れ合う瞬間だけを、生きていると実感することになる。そうして初めて異界へ旅立つことができるのだ」と批評しておられます。100万回生きたねこはわたしたち自身ですが、奇跡のように白いねこがどこからか現れるわけではない。わたしたちは100万回生きたねこであると同時に、白いねことしても生きなければならないのでありますぅ。
■ 金井純 BOOKレビュー 『絵のある本のはなし』『No.030 100万回生きたねこ 佐野洋子著』 ■